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神戸地方裁判所竜野支部 昭和35年(ワ)81号 判決 1963年9月19日

原告 玉田国弘 外五名

被告 石川島播磨重工業株式会社

主文

原告玉田国弘は、被告と雇傭関係に立つその従業員であることを確認する。

原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲の各請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、(イ)原告玉田国弘につき生じた部分は、被告の負担とし、(ロ)原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲につき生じた部分は、同原告らの各自負担とし、(ハ)被告につき生じた部分は、これを六分し、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市、同西浜咲及び被告にその各一を負担させる。

事実

一  原告松本荒市は、本件の最初になすべき口頭弁論の期日に出頭しなかつたが、民事訴訟法第一三八条により同原告が右期日に陳述したものとみなされる訴状の記載、同原告が続行期日に出頭してなした弁論、並びに、原告玉田国弘、同小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造及び同西浜咲が口頭弁論期日に出頭してなした弁論によれば、

本訴の請求の原因は、各原告において、それぞれ自己に対する関係につき、

「株式会社播磨造船所が、各原告に対し昭和二五年一〇月一四日付通知書をもつてなした解雇は、無効であることを確認する。」

との判決を求める旨申し立てるにあり、

その請求の原因、並びに、被告の主張に対する反駁は、次のとおりである(各原告の主張は、その大部分が共通しているので、便宜これを一括して摘示するが、各原告にかかる個別的事項については、特に断らないけれども、当該原告のみが主張したものである。)

「(一) 被告は、旧商号を『石川島重工業株式会社』と称していたが、昭和三五年一二月一日、『株式会社播磨造船所』を吸収合併し、その権利義務を包括承継すると共に、現商号『石川島播磨重工業株式会社』に改めたものである。原告らは、右合併前、『株式会社播磨造船所』(以下単に『播磨造船所』又は『会社』ということがある。)と雇傭関係に立ち、同会社に勤務していた労働者であり、同会社従業員をもつて組織する『全日本造船労働組合近畿支部播磨分会』(以下単に『播磨造船労働組合』、『労働組合』又は『組合』ということがある。)に所属する組合員であつた。

しかるところ、会社は、昭和二五年一〇月一四日付書面をもつて、原告らを解雇する旨通告し、原告らは、それぞれ程なく該通告書を受領した。

(二) 本件解雇は、被告も認めているとおり、日本共産党員及びその同調者を対象としたものである。会社は、常に労働者の利益を擁護すべくその先頭に立つて最も熱心に活動していた同党員及びその同調者達を企業から排除することにより、労働組合を弱体化、無力化させようと企図したものであつて、原告らがその共産党員又は同調者のようであるというのが、本件解雇の唯一の事由となつているのである。しかしながら、こうした解雇は、左記の理由により無効といわなければならない。

(1)  被告は、日本共産党が暴力的破壊活動を事とする政党であり、原告らがその党員又は同調者であるから、破壊分子に外ならないと主張しているようである。しかし、日本共産党が暴力団でなく、当時国会に多数の議員を送つていた公認の政党であることは、公知の事実である。会社は、連合国最高司令官マッカーサーの昭和二五年六月六日以降数次にわたる内閣総理大臣吉田茂宛の書簡の言辞に便乗し、日本共産党が破壊活動を行う団体であるとの前提に立ち、その党員及び同調者が本来企業破壊行為をなす者であるとの独断の下に、本件解雇を強行したのであつて、具体的な破壊行為がその理由となつているものではない。それは、企業防衛の名にかくれた共産主義者への弾圧である。したがつて、本件解雇は、原告らの信条を理由とした差別的取扱という意味において日本国憲法第一四条第一項の趣旨に反し、労働基準法第三条に違反するものであり、かつ、思想の自由の侵害という意味において日本国憲法第一九条の趣旨に反するものであるから、民法第九〇条により、その効力を否定しなければならない。

(2)  被告は、原告らの行動について種々主張し、原告らの活動が破壊行為であつたかのごとく印象づけようと努力しているが、原告らの行動は、すべて正当であり、破壊行為は、皆無であつた。このことは、真実原告らに具体的な破壊行為があつたならば、会社において合理的に原告らを懲戒解雇し得るにもかかわらず、これをしなかつたばかりか、後述のとおり、特別退職金等を支給するなどの方法で、雇傭契約の合意解約であるかのような形式を整えようと努力したことを見ても、また、原告松本荒市のような長期療養者をも解雇の対象としたことを見ても、明らかである。それ故、被告は、原告らにつきなんらの具体的破壊行為をも指摘することができず、ただ、原告らにおいて日本共産党の党活動を行つたが、同党の党活動は、そもそも破壊行為であると抽象的に主張しているにすぎない。また、本件解雇当時にあつても、会社は、解雇の具体的理由は公判廷で述べると称して、全然これを明らかにしなかつた。しかし、公認の政党活動は、日本国憲法第二一条第一項で保障された表現の自由に属するものである。それ故、原告が日本共産党の党活動をしていたとしても、これを理由とする本件解雇は、右憲法の条項の趣旨に反し、民法第九〇条により、無効であるといわなければならない。

(3)  会社は、『おそれある者』などと称して、勝手に将来を予測し、実質上会社の気に喰わぬ者を解雇したのであつて、かかる漠然とした基準によつた解雇が許されるのであれば、いかなる労働者といえども使用者の恣意によつて解雇されることになる。すなわち、本件解雇は、なんら正当な理由に基かぬ解雇権の濫用であつて、民法第一条第二項、第三項により、無効である。また、このような解雇は、勤労の権利に対する侵害という意味において、日本国憲法第二八条の趣旨に反し、民法第九〇条により、無効であるといわなければならない。

(4)  本件解雇は、原告らが最も戦闘的で熱心な組合活動家であつたことが理由になつていたと考えられる。すなわち、会社が原告らを解雇したのは、労働組合を骨抜きにし、弱体化するための陰謀に外ならず、日本国憲法第二八条の趣旨に反し、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為である。かかる解雇は、民法第九〇条により、無効という外はない。

(5)  なお、原告小西一郎については、同原告は、日本共産党員でもなければその同調者でもなく、熱心な組合活動家にすぎなかつたのであるから、会社が設定した解雇基準が是認されるとしても、同原告に対する解雇は、該基準の適用を誤つたものであり、この点から見ても無効といわざるを得ない。

(三) 被告は、本件解雇が、連合国最高司令官マッカーサーの昭和二五年六月六日以降数次にわたる内閣総理大臣吉田茂宛の書簡に根拠をおくが故に、有効であると主張しているけれども、右は、全く理由がないものである。

(1)  まず、上記の諸書簡が民間重要産業部門から共産主義者及びその同調者を排除すべき旨を指示したものであるとの被告の主張は、事実に反するものである。これらの書簡は、日本共産党中央委員及びアカハタ編集者を公職から追放すべき旨、日本共産党中央機関紙アカハタの発行を停止すべき旨を指令したものであるが、そのいずれを熟読しても、民間企業から共産主義者等を排除することを要求した文言を見出すことができず、また、そのように拡大解釈し得る個所も見当らない。マッカーサーが、前記諸書簡の中で、日本共産党を誹謗し、あたかも共産党員が破壊分子であるかのごとき事実判断を行つているとしても、これが本件解雇の指示であり、超国内法的効力を有するなどと主張するのは、全くばかげたことであり、日本国憲法の自殺を強要するものである。総司令部経済科学局エーミス労働課長も、しばしば『赤追放に関して、総司令部がこれを指示しているように考えている向もあるが、そうではなく、経営者と組合とが話し合つてやつているのである。』と述べ、赤追放がマッカーサーの指示でないことを明言している。もしそれ、アメリカ軍官憲中に本件のような解雇を教唆、煽動した者があつたとしても、それは、非合法で、法規範とは縁もゆかりもないものである。また、播磨造船所が現実に原告らに対してなした解雇の手続にも、なんらかの超憲法的な力によつてなされた形跡は、全く見当らない。

(2)  かりに百歩を譲り、本件解雇が連合国最高司令官マッカーサーの前掲諸書簡にその根拠を求め得るとしても、これらの書簡が超国内法的効力を有するという被告の見解は、誤である。当時アメリカ合衆国の支配者達は、南朝鮮の独裁者李承晩とはかり、朝鮮で侵略戦争をひき起していたのであるが、この戦争にわが国の国土と人民とを動員するには、平和と民主主義のため最も熱心に活動していた日本共産党が障碍であつた。そこで、マッカーサーは、日本共産党弾圧を目的とする前掲一連の書簡を発し、わが国を軍事的、思想的に自己の従属下に置こうと企図したのである。ひるがえつて、わが国は、ポツダム宣言を受諾した結果、連合国の占領管理下に置かれたのであるが、その管理方針は、連合国で組織した極東委員会の決定に委ねられていたのであつて、連合国最高司令官は、ポツダム宣言の内容を実現するために、極東委員会の決定に基いて、占領行政を行つていたにすぎない。それ故、同司令官は、日本国憲法その他の国内法には拘束されなかつたとしても、ポツダム宣言及び極東委員会の決定には拘束されていたのである。しかるところ、思想、信教、言論、結社の自由等の基本的人権の尊重は、人類普遍の原理であり(人権に関する世界宣言参照)、ポツダム宣言及び極東委員会の対日基本方針においても保障されていたところであつて、連合国最高司令官といえども、これに違反するような法規範を設定する権能を有しなかつた筈である。マッカーサーの前掲諸書簡は、こうした基本的人権を蹂躙している意味において、ポツダム宣言及び極東委員会の対日基本方針に違反し、明らかに無効のものである。

これを要するに、被告の超国内法効力云々の議論は、理由がなく、本件解雇の有効、無効を判決すべき規準は、あくまでも日本国憲法を頂点とする国内法であつて、それ以外のものではあり得ない。

(四) 次に、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲が、会社の勧告に応じて昭和二五年一〇月一七日付の退職願を提出し、かつ、これに伴い正規の退職金及び解雇予告手当金の外特別退職金を受領したこと、また、原告玉田国弘も、退職願こそ提出しなかつたが、同月三〇日に至り、会社がさきに退職金及び解雇予告手当金として供託していた金員の還付を受けたことは、いずれもこれを認める。

しかしながら、右により、小西一郎以下五名の原告らと会社との間の雇傭契約の合意解約が有効に成立し、また、原告玉田国弘も、会社から受けた解雇を承認してその効力を争わぬ旨の意思を表示したという被告の主張は、甚だ根拠に乏しいものである。

(1)  まず、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市は、その退職願の提出にもかかわらず、会社から一方的に解雇されたと見るのが事の実体に合致するゆえんであつて、同原告らと会社との間に雇傭契約の合意解約が成立したと考えることは、当を得ないものである。

原告らが会社から受けた解雇通知書の内容は、要するに、『一〇月一七日までに退職願を出せ。出さなければ本通告書により同日付で解雇する。つまり、退職願を出しても出さなくても首を切るのだが、出した場合には特別退職を加算してやる。なお、明日から会社構内への立入を禁止する。』という極めて一方的、かつ強制的なものである。会社は、右通告書において、任意退職の勧告とも読みとれる文言を用い、卑劣にも合意解約の形式に擬装することを試みているが、被通告者においてその勧告に応じようが応じまいが、会社との雇傭関係を断ち切られることには変りがないというのであるから、会社がなした意思表示は、その実質において単独行為たる一方的解雇以外の何物でもないであろう。はたしてそのとおりとすれば、この解雇が違法、かつ無効なものであることは、前述のとおりであり、それは、原告らが退職願を提出しているか否か、また、退職金等を受領しているか否かにかかわりのないことといわねばならない。また、かりに被告の主張に従い、会社が原告らに対する通告書において任意退職の勧告をしたことを肯認したところで、その退職の勧告も、前に詳述したような不法な動機、理由に基いている限り、なんらの法的効力をも認めることができず、これに応じて小西一郎以下五名の原告らがなした退職の意思表示もまた、当然無効、かつ無意味なものというべきであつて、そこに合意解約の成立を論ずる余地はないであろう。

さらに会社の原告らに対してなした前示の通告が、条件付とはいえ、昭和二五年一〇月一七日付をもつてする一方的解雇の意思表示であつたことは、被告といえども否定していないのであり、その後解雇日付の変更もなされなかつたのであるが、小西一郎以下五名の原告らが提出した退職願は、その日付こそ同年月日になつているけれども、その実際の提出日は、いずれも記載された日付より後であつた。すなわち、同原告らは、既に会社から一方的に解雇された後において退職願を提出したわけであり、こうした退職願がなんらの意味をも有するものでないことは、明らかであろう。被告の合意解約論は、右の点においても理由がないものである。

なお、本件解雇について、被告が、一方では合意に基く円満退職の主張をしながら、他方では超国内法的効力を云々し、あたかも二足のわらじを履いたような論法を用いているのは、本件解雇の不合理性を暴露したものであつて、甚だしい矛盾といわねばならない。

(2)  かりに以上の主張が理由のないものであり、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲が、各自退職願を提出したことをもつて任意退職の意思を表示したものと一応認めねばならぬとしても、右意思表示は、心裡留保により無効であるといわなければならない。

原告らに対する退職勧告ないし解雇の通告が、連合国最高司令官の昭和二五年六月六日以降数次にわたる内閣総理大臣宛の書簡に基く、日本共産党幹部の公職追放、アカハタ発行停止等一連の同党弾圧の占領政策を背景とし、これに便乗した会社の措置であることは、前述のとおりであるが、当時、このような日本共産党員及びその同調者の排除を目的とするいわゆるレッド・パージは、ひとり播磨造船所のみならず、全国の諸官公庁及び諸企業において次々と行われたのであつた。すなわち、その頃アメリカ軍官憲は、その武力を背景に半ば公然と日本国民を脅迫し、日本の政府と独占資本も、これに便乗し、アメリカ軍官憲と手を結んで、全国的にレッド・パージを強行することにより、労働者階級に兇暴な弾圧を加えたのである。こうしたレッド・パージが甚だ不合理なものであることは、いうまでもなく、原告らも、自己に対する追放処分が違法かつ無効のものであることを当初から確信していたのであるが、当時は、労働者の多くは、上述のような外部からの脅迫と資本家の威圧とを受け、職制の目を恐れて萎縮してしまつており、労働組合も、レッド・パージについては自由な意思を表明しかねていたのみならず、裁判所といえども、自主的な立場から判断することを甚だしく阻害されていたのである。事実、本件の事案にあつても、会社が労働組合に申し入れた整理基準は、極めて抽象的なものであり、組合が直ちにこれをとり上げて闘争に入つたのは、当然のことであるが、再三の交渉過程において、会社は、なんら納得のいく具体的な説明をなすことがなく、被整理者に対しては、面接の機会すら与えず、弁明の途を絶ち、会社構内にも入れぬ有様であつた。それでも被整理者全員は、昭和二五年一〇月一四日から一五日までの間に、組合を通じて会社に整理通告書を返上し、不当な解雇を承認し得ぬことを行動によつて示したのであるが、そのたのみの組合も、『赤追放は、極めて高度な政治的、思想的背景を有するもので、現下の客観情勢より判断して、反対は困難である。』として、レッド・パージ反対闘争の放棄を決議するに至つた。かくして、原告らを含む被整理者達は、孤立無援の状態となり、レッド・パージ無効を標榜する闘争が、困難かつ長期にわたるものであることを覚悟せねばならなくなつたのである。

しかるに、原告らは、すべて資金も貯蓄もない薄給の労働者であつて、播磨造船所に勤務することにより辛うじて生活を支えて来た者であるから、解雇されれば、たちまち生活に窮するに至ることは、火を見るよりも明らかであつた。さらに、当時『赤』として首を切られた者を誰も雇つてくれないであろうことも、当然予想された。そこで、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲は、自己に対する追放処分が無効であることを確信していたけれども、当面する生活の危機に対処する必要上、取りあえず会社から支払つてくれる金員を当然請求し得べき賃金の一部ということで受け取る手段として、退職願を提出したのである。

a  原告小西一郎は、会社から整理通告を受けた当時、日本共産党員でもその同調者でもなかつたから、会社が解雇基準の適用を誤つたものであるとして、組合に対し反対闘争を積極的に申し入れていたが、組合を通じての闘争が見込がないことが明かとなるに及び、急迫する生活難を慮り、退職願を提出したものである。しかし、同原告は、その後も他の原告らと密接な連絡をとり続け、一貫し、解雇無効確認を求める本訴提起のため、努力して来たのであつた。

b  原告兵藤太郎は、日頃から低賃金で、五人の扶養家族を抱え、苦しい生活をしていた上、昭和二三年七月、発病入院しその間に家が盗難に遭い、無一物となつた。同原告の退職願提出も、退職金等を受領し、当面する生活の危機を避けるために外ならなかつたのである。後日の闘争に資するため、『会社の都合により』と書いて提出した退職願も、組合から、『それでは受け付けられない。』といわれ、『家庭の都合により』と訂正せねばならなかつた。しかし、同原告は、解雇反対の意思表示のつもりで、会社が認めてくれた職場への挨拶もしなかつたし、また、失業者組合を組織し、労働組合にも職場復帰を申し入れた。その後は、会社及び組合からの度々の退去要求を却け、今日まで被告会社の社宅に居据わり、紙芝居をやつて苦しい生活と闘いながら、本訴提起のため努力し続けて来たのである。

c  原告金地正造は、日頃から低賃金で、六人の扶養家族を抱え、本件整理通告を受けた前年から四月頃まで病気療養をしていたため、多額の借金を負つていたが、解雇の報が伝わるや、一時に返済を迫られ、著しい生活の脅威にさらされた。同原告の退職願提出の動機、その記載の訂正のいきさつは、原告兵藤の場合のそれと同一である。原告金地も、退職願提出後、会社及び組合からの執拗な退去要求にもかかわらず、今日まで被告会社の社宅に居据わり、失業者組合、不当解雇反対同盟等を通じ、苦しい生活の中で、本訴提起のため努力し続けて来たのである。

d  原告松本荒市は、本件整理通告を受けた当時、結核のため長期入院療養中であつた。同原告が退職願を提出したのは、何よりもさしあたつて自己の生命を維持するに必要な療養費を得るためであつた。同原告は、その後日雇労務等で無理を重ね、しばしば病状が悪化し、本訴提起当時も入院療養中であつたが、それまで苦しい生活の中にあつて、他の原告らと連絡をとり、本訴提起のため努力して来たものである。

e  原告西浜咲は、本件整理通告を受けた当時、老父母を抱え、相当の借金も負い、女手一つで苦しい生活を支えていた。同原告が退職願を提出したのも、当面の生活の危機を避けるため、金員の必要に迫られたからに外ならない。同原告は、その後公共職業安定所さえも職業の紹介をしてくれない有様なので、内職や行商で辛うじて糊口をしのぎ、老父の死亡の頃からは、生活保護を受けてようやく生命をつなぎ、老母を養老院に入れねばならなくなるなど、惨憺たる状態に突き落された。しかし、同原告は、本訴提起の希望を唯一のよりどころとして、言語に絶する苦労に耐え、その後結婚してからも、他の原告らと常に連絡をとり、本訴提起のため努力を続けて来たのである。

元来一般市民法と労働法とは、その基本的原理を異にするものであつて、意思表示の解釈に関するそれも、その例に洩れない。すなわち、特に商法的分野においては、取引の迅速、安全の見地からして、表示主義が重んぜられるのに反し、労働法的分野においては、労使の実質的平等の保護の見地からして、意思主義を旨とすべきである。

しかるところ、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲が退職願を提出するに至つた具体的事情は、さきに詳述したとおりであつて、同原告らにかかる退職願の提出が、当面の生活の危機を避けるためやむなくなされた緊急避難行為に外ならず、真に退職を意図してなされたものでないことは、極めて明瞭といわねばならない。このことは、同原告らが、会社から指定された提出期限が経過し既に会社から一方的に解雇された後に、退職願を提出したという、前述の事情によつても裏付けられるものである。

会社は、被整理者に心理的圧迫を加えるため、あえて退職願の提出をそれも組合を通じてなすことを求め、社内への立入を禁止し、退職金も門外で支払うなど、会社との接触を絶ち、抗議その他の意思表示の機会を全く奪つてしまつた。しかし、会社は、右原告らから退職願を受領した当時、その提出が真意に基くものと考えていた程馬鹿ではなく、同原告らが単に形式上提出したにすぎないことを知りすぎる程よく知つていたのである。

要するに、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲にかかる退職願の提出は、民法第九三条但書により、なんらの効力も有しないものと断ずべきである。

(3)  さらに、玉田国弘を除く他の原告五名が退職願を提出し、玉田国弘を含む原告六名が退職金等を受領したことは、会社が行つた雇傭契約の解約申入に同意したものでもなければ、解雇を承諾したものでもない。

元来解雇は、使用者が一方的にこれをなし得るものであり、解雇に対する承諾などはあり得ない。また、会社が原告らに対してなした解雇が無効で法的効力を有しないことは、前述のとおりであり、こうした無効な解雇に対する承諾は、無意味なものといわねばならない。なお、退職願は、いずれも真意に基かぬ形式上のものであるから、この意味においても、解雇の承諾の効力を有しないものである。さらに、原告らは、いずれも会社から受けた解雇が無効であると確信していたが、当面、急迫する生活の危機を乗り切るため、とりあえず受給の権利を有する賃金の一部として、退職金等の名目の金銭を受け取つたのであつて、決してこれにより解雇を承諾したものではない。当時の情勢下において、右以外に原告らの生存権を守る方法がなかつたことは、客観的に明らかである。会社は、このことを予期し、原告らの生活上の弱みにつけ込んで窮地に追い込み、自己の不正を陰蔽しようと企図したに外ならない。

なお、原告玉田国弘が、退職願こそ提出しなかつたが、会社が退職金等として供託した金銭を受領したのは、他に就職することも、『赤』の烙印の故に不可能と予想されたので、生活維持のため、やむなくしたところの措置である。同原告は、相生での就職が不可能であつたので、神戸等に赴き、沖仲仕、日雇、駐留軍労務者等と、転々と職を変え、辛うじて生活を支えながら、常に他の原告らと連絡を保ち、本訴の準備を進め、昭和三二年八月、相生に帰り、遂に懸案の本訴を提起するに至つたものである。

(4)  さらに、原告らが退職願を提出し、又は退職金等を受領したことは、会社のなした解雇の効力を争う権利を放棄したことを意味するものでもない。

原告らは、困難な事情の下に一貫して権利行使のための努力を続けていたのである。すなわち、解雇直後には失業者組合を結成して組合に復職闘争を申し入れ、次いで播磨造船レッド・パージ反対同盟を結成し、昭和三一年には播州不当解雇反対同盟を組織して、常に本訴の準備を進めて来た。本訴請求こそは、原告らが解雇されてから、その長期にわたる苦しい生活と闘いの中で片時も忘れることができなかつた唯一の願いであつた。

(五) 被告は、原告兵藤太郎が既に会社の停年に達したことをもつて、その求める確認の利益がなくなつたものと主張しているが、右主張は、根拠に乏しいものである。同原告は、本訴において、会社からかつて受けた不当解雇の無効確認を求めているのであり、これが、解雇後停年に達した事実によつて妨げられるいわれはない。むしろ、被告において、同原告が勤労の権利を奪われていた期間、停年を延長して使用するのが筋合である。同原告は、職場への復帰が認められるのが当然であると思うが、かりにそれが認められなければ、会社から受けた解雇の無効が確認されることだけでも、同原告にとつては計り知れない利益である。

(六) なお、被告は、いわゆる失効の原則の理論を援用することにより、原告らの本訴請求が信義則に反し、権利の濫用であると主張しているが、原告らは、これに対し、次のとおり反駁するものである。

(1)  会社が原告らに対してなした本件解雇が、いわゆるレッド・パージであり、日本国憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項、労働基準法第三条に違反する絶対無効のものであることは、前述した。そこで、原告らは、その解雇が無効であることの確認を求めているのであり、こうした確認を求めるにつき、失効の原則が適用されることは、そもそもあり得べき事柄ではない。

(2)  被告は、本訴請求が信義誠実の原則に反するという主張の根拠として、原告が解雇されてから本訴を提起するまでに一〇年近くが経過した事実を掲げている。しかし、こうした一〇年近くの経過は、むしろ、会社の行つた本件レッド・パージが、いかに原告らの生活を根底から破壊し、その正当な権利を阻んだかを物語るものに外ならない。本件解雇後原告らにおそいかかつたものは、先ず『赤』の烙印であり、これにつきまとう逃れることのできない貧困であつた。労働者は、その労働力を売却することによつてのみ、自己及び一家の生活を支えることができるものである。会社の行つたレッド・パージは、先ず労働者である原告らから長年の職場を奪つたのみならず、正規の労働市場から原告らを放逐したのである。経営者達は、全面的に被パージ者を排除し、これを雇傭しようとせず、国家の機関である職業安定所すら、被パージ者に対する職業の紹介を拒み、日本国憲法第二七条の勤労の権利は、全く蹂躙されて、顧みられなかつた。こうして労働市場から追放された原告らには、長期にわたる失業が続き、原告らの生活は、根底から破壊された。多くの被パージ者は、反憲法的迫害の中で健康をさえ害し、中には失意のあまり自殺する者すら少くなかつたのである。原告らは、本件解雇後、辛うじて就職することを得ても、そこは、日本の経済構造の底辺に存在する零細企業で、極度に悪い労働条件に服し、半失業者とほとんど紙一重の生活を続ける外はなかつた。原告らが一〇年近くも解雇無効確認訴訟を提起し得なかつた第一の原因は、こうした原告らの生活の困窮そのものの中にあるのである。

(3)  本件レッド・パージは、原告らの生活を破壊したが、問題は、それだけにとどまらない。レッド・パージは、今日なお原告ら及びその一家の生活を破壊する力を持つている。レッド・パージされた人間であることが判明すれば、辛うじて掴んだ職も直ちに失う危険が常に存在し、それは、現在も続いている。それ故、こうした者がレッド・パージの効力を争つて訴を提起することは、第二の解雇の危険に身をさらすことを意味する。しかも、危険は、単に職場の喪失についてだけではない。どん底の生活に耐えて育て上げ、ようやく働けるようになつた原告らの子弟までが、レッド・パージされた者の子弟であるために、就職の機会を奪われるのである。このような危険こそ、原告らが本件訴訟を長く提起し得なかつた第二の原因に外ならない。今日、原告らと会合し、原告らの訴訟追行に協力している被パージ者は、少くないが、彼らは、その権利の主張を熱望し、その準備をしながら、これをあえてした場合にふりかかる危険をおそれて、解雇無効確認訴訟を提起し得ないでいるのである。実に、レッド・パージは、今もその暴力を持続している現在のものである。

(4)  原告らが本件解雇処分を受けた当時の内外の情勢は、さきに詳述したが、要するに、資本家は、アメリカ軍官憲、並びに、日本政府の反共政策に便乗して、全国的にレッド・パージを強行し、労働者階級に兇暴な弾圧を加えたものであり、一般労働者は、こうした外的圧迫に萎縮し、自由な意思を表明することができず、裁判所すら、自主的な立場から判断することを甚だしく阻害されていたのである。原告らは、こうした悪条件と闘いつつ、常に本訴提起のための努力を重ねて来たのであるが、所詮一介の失業労働者、薄給労働者にすぎない以上、前述のような社会的圧力を受けて、久しく有効な法的救済手段をとり得なかつたのは、まことにやむを得ぬところといわねばならない。

(5)  被告は、本訴請求が権利の濫用であるとの主張の論拠として、労働組合法第二七条が、労働委員会に対する不当労働行為の救済申立が、当該行為の日から一年の経過後は許されぬものと規定していることを掲げている。しかし、同条が、右一年の経過後において裁判所に出訴する権利を奪つたものでないことは、もちろんである。

(6)  以上詳述した次第で、原告らが本件の解雇処分を受けてから一〇年近くその無効確認を求める本訴を提起しなかつたのは、決して原告らの責任ではない。原告らは、本訴を提起するために、長い苦痛に満ちた闘いをしなければならなかつた。そして、長期にわたる苦闘の結果、ようやく前述の危険を冒して本訴を提起することができるようになつたのである。以上の諸条件を考えるならば、原告らが解雇後一〇年近くを経過して本訴を提起したことは、なんら信義則に反するものでないことが明らかであろう。

(7)  被告は、本訴の提起が被告の信頼を裏切るものであると主張している。すなわち、被告は原告らが本件においてしているような権利の主張をしないと信頼していた、というのである。しかし、会社は、常に原告らが本訴を提起し得ないようあらゆる面から圧迫を加えて来たのであり、信頼云々というのは、虚構の主張である。これは、違法なレッド・パージを今日なお維持しようということに外ならない。こうした反憲法的行為が覆されることがないという『信頼』が、なんら法的に保護されるに価しないことは、極めて明白である。

(8)  レッド・パージは、人類普遍の原理とされる憲法を蹂躙した、近代史上最大の暴挙ともいうべきもので、最も兇暴にして大がかりな権利の濫用であり、信義に反する行為である。そして、播磨造船所は、これを強行して、原告らに対し久しくその効力を争う訴訟もできない程の打撃を与えた張本人に外ならない。しかるに、その播磨造船所の承継人たる被告が、今にして原告らの本訴請求が信義則に反するなどと主張することは、それ自体背理であり、かつ、信義則に反するものといわなければならない。」

なお、原告玉田国弘、同小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造及び同西浜咲は、重要産業から共産主義者等を排除すべき旨の連合国最高司令官指示の有無、効力について、別紙1記載のとおり、その見解を陳述した。

二  被告訴訟代理人は、原告らの主張に対する答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

「(一) 原告主張の請求原因事実中、被告が、昭和三五年一二月一日、『株式会社播磨造船所』を吸収合併し、その権利義務を包括承継した会社であること、原告らが、いずれも以前『株式会社播磨造船所』に雇われていた労働者であり、その主張にかかる労働組合に所属の組合員であつたこと、同会社が、昭和二五年一〇月一四日付書面をもつて、原告らを解雇する旨通告し(但し、その書面は、後述のとおり、任意退職の勧告に併せて、右勧告に応じなければ解雇する旨を記載したものである。)、該書面が程なく原告らのもとに到達したことは、いずれもこれを認める。

(二) 原告らは、会社が右の通告をもつて原告らを一方的に解雇したという前提をとり、この解雇が無効であると主張している。しかしながら、原告玉田国弘は別として、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲の五名に関する限り、右の前提そのものが誤であり、会社との間には雇傭契約の合意解約があつたものと見なければならない。

会社が原告らを企業から排除する必要に迫られた事情は、後に述べるとおりであるが、会社としては、整理を円滑に運びたいため、被整理者が会社の意のあるところを諒承の上任意退職してくれることを期待し、任意退職者には会社の規定による退職金の外に特別退職金を加給する方針を定めた。そこで、昭和二五年一〇月一四日、予め会社において調査の上整理基準に該当すると認定していた原告らを含む二〇名の従業員に対し、各個人あて通告書をもつて、同月一七日正午までに退職願を提出することにより任意退職されたい旨勧告し、併せて、右退職願の提出がないときは同日付をもつて解雇する旨を告知したのである。すなわち、会社は、右をもつて雇傭契約の合意解約の申込と停止条件付解雇の意思表示とを同時にしたに外ならない。なお、当時会社と労働組合との間には労働協約が存在しなかつたけれども、会社は、組合の立場を尊重する見地から、右通告をなす前日、組合に整理方針を告げてその協力を求めたところ、引き続き再三団体交渉がなされたが、組合は、組合員の一般投票に問うて会社の人員整理を承認したといういきさつもある。そして、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲の五名は、それぞれ会社の勧告に従い同月一七日付で退職願を提出し、通常の退職金、解雇予告手当金の外に特別退職金を受領したのである。もつとも、そのうち原告小西一郎は、会社が指定した期限である同日までに退職願を提出せず、退職金及び解雇予告手当金も受け取らなかつたが、会社は、同月二一日、これを神戸地方法務局龍野支局に弁済のため供託したところ、同月二六日に至り、同原告から会社に対し、同月一七日付で退職願を提出するから受理してほしい旨の申出があつたので、会社もこれを承諾し、同日付の退職願を受理した上、同原告に特別退職金を支給し、前示供託にかかる退職金等は、同原告においてその還付を受けた次第である。いずれにせよ、上記原告五名にかかる退職願の提出は、会社のなした合意解約の申込に対する承諾と認めなければならない。それ故、同原告らと会社との間の雇傭関係は、それぞれ合意解約の成立によつて終了したものであり、同原告らが会社から一方的解雇を受けたとしてその解雇の無効を主張しているのは、筋違いというべきである。

なお、同原告らは、その退職願の提出につき心裡留保の主張をしているが、根拠がないものである。

(三) 次に原告玉田国弘は、会社から前記通告書による任意退職の勧告を受けながら、所定期限の昭和二五年一〇月一七日が経過しても退職願を提出していないから、停止条件の成就により、同日付をもつて同原告に対する解雇の効力が発生したというべきであり、右解雇につき同原告の主張するような無効原因を認めることができないことは、後述のとおりである。しかのみならず、同原告は、同月三〇日に至り、会社が雇傭関係の終了を前提に債務を精算する趣旨で同月二一日供託しておいた退職金及び解雇予告手当金の還付を、なんら異議を留めることなく受けているのであるから、これにより解雇を承諾し、将来その効力を争わないという意思を表示したものというべきである。それ故、同原告が本訴において自己に対する解雇の無効を主張しているのは、それ自体失当であるといわなければならない。

(四) 会社が原告らに対し退職勧告及び停止条件付解雇通知をなすに至つたのは、左記のやむを得ぬ事情に基くものであり、これによれば、原告玉田国弘に対する解雇、並びに、その余の原告五名と会社との間の雇傭契約の合意解約に無効事由が存しないことは、明らかである。

(1)  終戦後のわが国における労働組合運動は、燎原の火のごとく全国を風靡したのであるが、敗戦による人心の混迷状態に乗じた左翼勢力は、その勢を増し、経済主義に立つ労働組合運動を否定して、一切の闘争を内閣打倒、人民政府樹立ないし反米闘争と結び付け、これを政治闘争、権力闘争化せんとし、当初生活不安から立ち上つた官公労組の経済闘争も、政治革命を目標とする二・一ゼネストへと直進して行つたことは、今なお記憶にあらたなところである。かれらは、組合活動の仮面にかくれて細胞による破壊活動に狂奔し、敗戦によつて疲弊し切つたわが国の産業は、これら非合法活動によつて最後の止めを刺されようとしていた。こうした情勢に対処すべく、政府は、昭和二一年から同二四年にかけて、労働関係調整法、国家公務員法、公共企業体等労働関係法、団体等規制令、労働組合法の全面改正等の一連の立法措置をとり、労働組合活動の行き過ぎの是正につとめ、他方、昂進するインフレーション下にあつて全国的に続発する賃上闘争に対処するため、連合国総司令部は、昭和二三年一一月、物価に影響を与える賃金引上の抑制を目的としたいわゆる賃金三原則を勧告するに至つた。しかるに、これらの諸立法、諸施策も、当時の風潮下にあつてはほとんどその効がなく、左翼勢力は、これを反動立法等と攻撃し、近い例は、神戸市にあつても、昭和二四年五月、公安条例の市議会上程に際し、多数の示威、暴力によつてこれに圧迫、妨害を加え、遂に同月一九日には暴動化し、多数の検束者を出すに至つた程である。これら暴動的破壊活動は、日本共産党に指導され、昭和二四年に至つてその極に達し、平事件、日鉱広島事件等、同党員の非合法暴力行為であることが明らかなものが続発したのみならず、下山事件、三鷹事件及び松川事件のいわゆる国鉄三事件は、その真相はともかくとして、日共暴力革命の前哨戦と噂され、国民一般は、日本共産党の破壊的性格の前に戦々兢々たる有様であつて、同党の宣伝、謀略、破壊活動は、あたかも革命前夜を思わせるものがあつた。

(2)  上述のような情勢にかんがみ、連合国最高司令官マッカーサーは、昭和二五年五月二日(日本国憲法施行三周年記念日)、声明を発表し、日本共産党が『公然と国際的略奪勢力の手先となり………破壊的宣伝を遂行する役割を引き受け………日本国民の利益に反するような運動方針を公然と採用している』ことを強く非難し、この反社会的勢力をいかなる方法によつて国内的に処理するかが、現在日本が急速に解決を迫られている問題であるとし、『日本国民は、叡知と沈着と正義とをもつてこれに対処することを固く信じて疑わない。』と警告、かつ要望するところがあつた。次いで、同年六月六日付内閣総理大臣吉田茂宛の書簡においては、日本共産党が『虚偽で、煽動的な言説やその他の破壊的手段を用い、その結果として起る公衆の混乱を利用して、ついには暴力をもつて日本の立憲政治を転覆するのに都合のよい状態を作り出すような社会不安をひき起そうと企てている』ことを指摘し、これを『放置することは、………日本民族を破滅させる危険を冒すことになるであろう。』と警告した上、日本政府に対し同党中央委員会の全員を構成する二四名を公職から追放することを指令し、さらに翌七日付内閣総理大臣宛の書簡により、アカハタ編集責任者一七名を被追放者に追加することを指令し、その他数次にわたる書簡(いずれも官報掲載)において、公共的報道機関その他の重要産業から破壊分子たる共産主義者及びその同調者を排除すべき旨を指示したのである。

そもそも『日本国との平和条約』が発効する以前にあつては、連合国最高司令官は、最高の権威であつて、その指摘する事実は、単なる事実ではなく、占領政策の基礎となるものとして認定したものであり、何人もその判断を尊重すべく義務づけられていたのである。また、同司令官は、憲法その他の国内法に拘束されることなく法規範を設定し得る権能を有し、その発する命令、指示は、わが国の国家機関及び国民が誠実かつ迅速に服従する義務を負わされていたのである。したがつて、前示のように共産主義者及びその同調者が破壊分子であるとして、これを公職、報道機関又は重要産業から排除すべき旨を求めた連合国最高司令官の指示は、超国内法的効力を有し、わが国の法令は、右の指示に牴触する限りにおいてその適用が排除されたものといわなければならない。

(3)  ひるがえつて、播磨造船所は、わが国有数の造船会社であつたが、敗戦により壊滅的打撃を受けたので、もろもろの悪条件を克服して会社再建の施策を強力かつ円満に推進して行くためには、従業員の理解と協力とが特に要請されたのであり、労働組合もまた、会社の実情と企業の重要性とを認識し、おおむねこれに協調的であつた。しかるに、従業員の一部には、会社再建の急務とその困難な諸事情とを知りながら、かえつてその窮状につけ込み、破壊的、煽動的言動をもつて反政府、反占領軍的宣伝をなすことにより、従業員一般の不安を醸成し、その勤労意欲を減退させ、さらには、職場の規律を乱し、会社業務の正常な運営を阻害し、会社再建に著しい支障を与えて省みない者が現われるに至り、とりわけ、昭和二二年頃既に共産党員たる会社従業員をもつて『日本共産党相生細胞』が結成され、その細胞員、並びに、これに同調する諸分子は、戦場の内外において活発な党活動を行い、会社業務に重大な脅威を与えた。そこで、会社は、これら組織的、集団的阻害行為に対処すべく、企業の秩序維持と防衛のため、かつは善良な一般従業員の生活保障のため、早急に破壊分子を企業から排除しなければならない状態に立ち至つたのである。

こうした事情に基く左翼破壊分子の整理の必要は、ひとり播磨造船所にとどまらず、当時わが国の重要産業がすべて当面したものであり、そのため、全国の重要産業会社は、ほぼ同時期に、同一の方法で、しかもほとんど同一の整理基準により、基準該当者の特別整理を行つた次第であつて、これが一般に『赤色追放(レッド・パージ)』といわれているものに外ならない。

(4)  かくて会社は、企業防衛の必要上、原告らを含む二〇名を基準該当者として本件特別整理を断行したのであるが、その方法においてできる限り穏便を期したことは、前述のとおりである。

(五) なお、原告らは、本訴において、『株式会社播磨造船所が、各原告に対し昭和二五年一〇月一四日付通告書をもつてなした解雇は、無効であることを確認する。』との判決を求めているのであるが、原告兵藤太郎については、そうした確認を求め得ぬ事情がある。すなわち、同原告は、明治三八年一〇月二〇日生であるところ、播磨造船所の工員は、満五五才に達し、さらに月を改めた後最初に迎えた二月、五月、八月又は一一月の各一〇日をもつて退職することになつているから、同被告は、昭和三五年一一月一〇日限りで、かりにそれまで播磨造船所との雇傭関係が継続していたとしても、当然停年退職となつているわけである。それ故、右退職後においては、同原告がかつて受けた解雇の無効の確認を求める利益は、失われているものといわなければならない。

(六) さらに、原告らの本訴請求は、信義誠実の原則に反し、権利の濫用であるといわなければならない。

およそ雇傭関係は、ことに播磨造船所のような大企業にあつては、極めて流動的、継続的な法律関係であつて、これに関連し、労働者の昇給、職場の配置転換、企業組織の拡大縮少等種々の事情の生起変転を伴うのであり、使用者にとつては企業との結び付きにおいて、労働者にとつては生活との結び付きにおいて、法的安定性が強く要請されることは、論をまたない。したがつて、雇傭関係の消滅を目的とする権利の行使の濫用が許されない反面、雇傭関係の消滅事由の効力を争う権利の行使も、誠実に遅滞なくこれをなすを要し、濫用が許されないことは、信義誠実の原則に照らし当然のことである。(労働組合法第二七条第二項が、不当労働行為による解雇に対する救済につき、当該処分がなされてから一年という除斥期間を定めているのも、この理由からである。)民法は、権利の不行使という時の経過により権利の消滅する制度として、消滅時効及び除斥期間の規定を設けているが、単なる権利の不行使による時の経過にとどまらず、みずからの懈怠により権利の行使を永く放置しながら、今に至つてその権利を行使することが明らかに信義則に反するときは、権利の濫用をもつて目され、近時とみにその認識を高めた失効の原則の適用がある場合である。民法第一条第二項、第三項は、「権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス」「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」と、刑事訴訟規則第一条第二項は、「訴訟上の権利は、誠実にこれを行使し、濫用してはならない。」と明定し、私権及び訴権の行使の社会的倫理性を高揚して、戦後のわが国における新しい法の運用に明確な示針を与えたのである。

しかるところ、本件において、原告らは、昭和二五年一〇月中に生じた雇傭関係消滅原因の効力を今日初めて争つているのであるが、もし原告らにおいて真にその無効を主張し、救済を求める意思であるならば、当時早急に労働委員会に救済を求めるとか、裁判所に仮処分申請や訴の提起をするとかの方法をとり得た筈であり、またとるべきであつたにもかかわらず、こうした措置を講ずることがなかつたのみか、雇傭関係の消滅を前提として受け取ることができる筈の解雇予告手当、退職金等の外、所属労働組合や職場からの餞別金を異議なく受領し、次いで失業保険金の支給も受け、その後一〇年になんなんとする間、雇傭関係の効力を争う外的所為に出ることがなかつたのである。しかるに、その間それぞれ職を求め、生活の途を築いて来た原告らが、法秩序の安定した今日に至り、本訴を提起して来たことは、その意図が奈辺にあるのか、全く判断に苦しまざるを得ない。原告らが、今更本気で被告の職場に復帰しようと考えているとは、常識上思われず、本訴は、徒らに平地に波瀾を起し、法的安定を乱し、これに対する被告の信頼を裏切ることを目的とした、訴訟のための訴訟としか考えられないものである。

これを要するに、原告らが今日に及んで雇傭関係の消滅を争つているのは、信義則に反し、許されぬものといわなければならない。」

三  証拠<省略>

理由

一  (イ)被告が、昭和三五年一二月一日、『株式会社播磨造船所』を吸収合併し、その権利義務を包括承継した会社であること、(ロ)原告らが、右合併前、『株式会社播磨造船所』と雇傭関係に立ち、同会社に勤務する従業員であつたこと、(ハ)同会社が、昭和二五年一〇月一四日付書面(以下単に『本件整理通告書』ということがある。)をもつて、原告らに対し、同月一七日までに退職願を会社に提出することにより任意退職を申し出るよう勧告すると共に、右勧告に応じなければ同日付をもつて解雇する旨の通告をなし、原告らがそれぞれ遅滞なく該通告書を受領したことは、いずれも当事者間に争のないところである。

二  本件においては、多岐にわたる当事者間の争点について判断を進めるに先だち、原告らがいかなる判決を求めているのかを、その弁論の全趣旨から認識することが、特別に重要な意味を有するものである。

原告らが、いずれも、少くとも第一次的には、会社から本件整理通告をもつて一方的の単独行為たる解雇(雇傭契約の解除)を受けたものであるという解釈をとつていることは、疑を容れる余地のないところであり、かつ、その陳述し、又は民事訴訟法第一三八条により陳述したものとみなされる訴状の記載においても、「該解雇が無効であることを確認する。」との判決を求める体裁になつていることが明らかである。しかしながら、一般に、確認の訴は、例外的に事実関係につき認められる民事訴訟法第二二五条所定の証書真否確認の訴の場合を除き、現在の法律関係の存否を目的とするものに限り許されるのであつて、過去の法律関係の存否の確認の訴は、その利益を欠き、許されないと解されている(最高裁判所昭和三一年一〇月四日判決・民集一〇巻一〇号一二二九頁以下、同昭和三二年一一月一日判決・民集一一巻一二号一八一九頁以下)。けだし、過去の法律関係の存否は、かりにそれが現在の法律関係の存否に影響を及ぼす場合にあつても、現在の紛争解決のために認識すべき前提として意味を有するにとどまるため、それ自体を確認訴訟の目的とすることは、迂遠であつて、むしろ直截に現在の法律関係の存否の確認を求めるに若くはないからである。それ故、原告らが過去に会社から受けた解雇の無効の確認を求めており、かつ、それにとどまると解するにおいては、そうした確認の訴は、利益を欠くものと認めざるを得ない。さらにまた、会社が原告らに対しなした本件整理通告がいかなる法律上の性質を有するものと認むべきかは、該通告書の文言自体からも容易に推測し得るとおり、非常に問題となる事柄であり、かつ、ひとしく右通告に接した原告らの中にあつても、玉田国弘は、退職願を提出していないが、小西一郎、兵藤太郎、金地正造、松本荒市及び西浜咲の五名が、会社の勧告に応じて退職願を提出したことは、当事者間に争がないところである。そこで、被告は、右退職願を提出した原告五名に関する限り、それぞれ会社との間に雇傭契約の合意解約が成立したものであつて、会社がこれらの原告を一方的に解雇したことにはならないと主張しているのであり、当裁判所も、その主張を支持するものであることは、後に詳述するとおりである。それ故、これらの原告五名が、自己の受けた単独行為たる『解雇』の無効確認を求めているにすぎぬと解するならば、虚無の法律行為の無効確認を求めていることに帰する点においても、問題があるとせねばならない。

しかしながら、原告らが、前述のような利益のない無意味な確認の訴を提起したと考えることは、訴状記載の請求の趣旨の文言にとらわれすぎた理解というべきである。本訴における原告らの真意は、要するに、播磨造船所が原告らに対し本件整理通告書を送付したにもかかわらず、これは、同会社と原告らとの間の各雇傭関係を終了させる原因となり得なかつたもので、これらの雇傭関係が、各原告と同会社の承継人たる被告との間に今なお存続していることの確認を求めるにあると解するのが、自然であり、また、本件における原告らの訴訟行為自体からもこのように解する具体的根拠を見出すことは、必ずしも困難ではない。まず、会社からの勧告に応じて退職願を提出した前示小西一郎以下五名の原告らは、被告の主張に対する反駁としてではあるが、会社との雇傭契約の合意解約を構成すべき一方の意思表示たる自己の退職願が、心裡留保により無効であることを強調しており、会社から一方的に解雇されたという見解には、必ずしも固執していないのである。また、原告玉田国弘は、退職願を提出していないから、右心裡留保の主張には関係のないものであるが、本件の訴の提起から口頭弁論の終結に至るまで、常に他の共同原告五名と歩調を合わせて、訴訟活動を行つており、訴状、並びに、数回にわたる準備書面も、すべてこれと共同で作成していることが明らかであるから、ひとり原告玉田国弘に限り、他の共同原告とは別様の態様の確認判決を求めているとは、到底解するを得ない。

そこで、当裁判所は、原告らが、本訴において、それぞれ自己に対する関係につき、「各原告が、被告と雇傭関係に立つその従業員であることを確認する。」との判決を求めているものと理解し、以下の判断を進めるものであつて、それは、十分な合理的根拠を有するものと確信するのである。

三  原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲が、会社から本件整理通告書を受領して、そこに表示された任意退職の勧告に応じ、退職願を提出したこと、そこで、被告は、これらの原告五名と会社との間の各雇傭契約が、それぞれ合意解約されたと主張しているが、原告らは、右合意解約の成立を否定して、やはり本件整理通告書をもつて会社から一方的に解雇された旨強調していることは、前述のとおりである。よつて、以下右の争点に対する判断を進めることとする。

(一)  原告小西一郎、被告間において成立につき争のない乙第二号証の二、原告兵藤太郎、被告間において成立につき争のない同証の三、原告金地正造、被告間において成立につき争のない同証の四、原告松本荒市、被告間において成立につき争のない同証の五、原告西浜咲、被告間において成立につき争のない同証の六によれば、本件整理通告書は、すべて、『通告書』と題する昭和二五年一〇月一四日付にかかる『株式会社播磨造船所取締役社長六岡周三』作成名義の書面であつて、その文面は、第一に、

「当社は今般組合え申入れた趣旨により貴殿に退職して頂くことになりました。よつて来る十月十七日正午迄に円満退職さるる様御奨め致します。右期日迄に退職の御申出のあつた場合は依頼解雇の取扱を致しますが御申出のない場合は十月十七日附を以て本通告書を以て辞令にかえ解雇することに致しますから御承知置き下さい」

というのであり、次いで、退職に伴う諸給付金の額、支払方法等を記載し、ことに、期日までに退職願を提出した場合には、『特別退職金』が加算され、提出しない場合に比し、総支払額において、原告小西については金二、九四八円、同兵藤については金六、〇六一円、同金地については金九、二九二円、同松本については金四、六八五円、同西浜については五、〇二六円の差をみることを明らかにし、最後に追而書として、

「会社は職場秩序維持のため貴殿に対し十月十五日以降当社の事業場其の他の諸施設に立入ることを禁止致しますから併而通告致します」

と附記したものであることが認められる。

(二)  上記通告書の文言によれば、会社が被通告者に対してなした意思表示の内容は、要するに、「退職願の提出を勧告する。提出せねば解雇する。」というにあり、被通告者が退職願を提出するにせよ、しないにせよ、会社との雇傭関係を断絶させることには変りがないという趣旨のものであることが明らかであり、しかも、その語調は、立入禁止の文言をも伴い、かなり高圧的なものである。それ故、これを受領した者らが、後日退職願を提出した者らをも含めて、会社から一方的に有無をいわさず『辞めさせられた』という印象を抱くに至つたとしても、それは、少くとも常識的には十分に納得することができるものといわなければならない。しかしながら、原告らが、進んで、本件整理通告書に記載された会社の意思表示が、一方的の始期限付解雇(単独行為)以外の何物でもないと論結しているのは、やはり同通告書に記載されている任意退職勧告の文言を無視するものであつて、到底正当な意思表示の解釈とは考えられない。同通告書を受領した者らは、後日解雇の効力を争う意図を有し、又は有しないで、所定期限内に退職願を提出することを肯んじないか、それとも、後日自己に対する会社の整理処分の効力を争うことは、困難となるが、わずかながらも『特別退職金』の加給を受ける利益を伴うところの退職願提出の途を選ぶか、選択の自由を認められていたのであるから、後の途を選び、かつ、その退職願が会社に受領された者については、それが経済的困窮その他いかなる事情に基くものであるにせよ、会社から単独行為たる解雇を受けたと解することは、甚だ当を得ないものである。

さらに、上記任意退職の勧告が、それ自体いかなる法律上の性質を保有すると解すべきかも、検討を要する問題といわねばならない。本件整理通告書中の、「退職の御申出のあつた場合は依頼解雇の取扱を致します」といつた文言から形式的に推論するならば、被通告者から会社との雇傭契約を合意で解約したい旨願い出ることを期待するという、申込の誘引と解される余地も、たしかに存在する。しかしながら、本件の場合、相手方を特定せぬ人員整理のための退職勧告のような、表意者が、相手方の退職願(申込)をまつて、これを受理(承諾)するか否かの意思決定をなす余地を残している場合とは異なり、本件整理通告書の文面全体を通じて、会社がいずれにせよ被通告者との雇傭関係を断ち切るという意図は、極めて明白、かつ確定的に表現されており、会社が、単なる退職願出の誘引をしたにとどまると解することは、実情にそぐわない。むしろ、会社は、右退職願の提出の勧告という形において、被通告者らに対し、雇傭契約の合意解約(双方行為)の申込をしたものと認めるのが、もつともその合理的意思に合致した解釈と確信するのである。

以上要するに、会社は、本件整理通告書をもつて、被通告者らに対し、承諾の期間(退職願の提出期間)を昭和二五年一〇月一七日正午までと定めて、雇傭契約の合意解約(双方行為)の申込(単なる申込の誘引ではない。)を行うとともに、被通告者らが右期間内にこれに対する承諾(退職願の提出)をしないことを停止条件として、当該被通告者との間の雇傭契約の解約(単独行為)をなしたものと解するを相当とする。それ故、被通告者中に所定期間内に退職願を提出した者があれば、その者と会社との間の雇傭契約については、合意解約の成立を見たものと解すべきであり、この合意解約に格別の無効事由が存しない限り、これによつて雇傭関係の消滅を来たしたものといわねばならず、したがつて、会社のなした単独行為たる解雇は、停止条件の不成就により、効力を生じなかつたものと解されるのである。

(三)  しかるところ、原告小西、同兵藤、同金地、同松本及び同西浜は、いずれも、その退職願を会社から指定された期限である昭和二五年一〇月一七日正午を経過した後に提出したものであるから、右提出前に会社から解雇されたことになる筈で、雇傭契約の合意解約の成立を云々すべき余地はないと主張する。そして、なるほど証人明石直太の証言によれば、上記原告五名にかかる退職願がいずれも右指定期限を数日ないし十数日経過した後に提出されたことは、明らかであるから、前記整理通告書の意味内容にかんがみ、同期限の経過とともに、解雇の意思表示に付された停止条件が成就し、一応同原告らが会社から解雇された形になつたことは、これを否定することができない。しかしながら、右証人の証言、並びに、原告小西、被告間において成立につき争のない乙第三号証の一、原告兵藤、被告間において成立につき争のない同証の二、訂正個所を除き原告金地、被告間において成立につき争のない同証の三、原告松本、被告間において成立につき争のない同証の四、原告西浜、被告間において成立につき争のない同証の五によれば、同原告らは、特別退職金の受領といつたような問題もあるので、いずれもその所属する労働組合(『全日本造船労働組合近畿支部播磨分会』)を通じ、会社に対し、所定期限までに退職願を提出したのと同様の扱をしてもらいたい旨申し入れたところ、会社もこれに諒承を与え、事実、同原告らからは指定期限の末日たる昭和二五年一〇月一七日付の退職願を提出したのに対し、会社も、格別異議をとどめないで受理したことが認められる。それ故、右原告らにかかる退職願の提出が、すべて民法第五二三条にいわゆる『遅延シタル承諾』であつたことは、否定し得ないが、申込者たる会社は、これを『新ナル申込』とみなし、退職願を受理して、承諾を与えた結果、右各原告と被告との間に、それぞれ当初の退職願提出期限の末日にまで効力を遡及させるところの雇傭契約の合意解約の成立を見るに至つたものと解するを相当とする。雇傭契約の合意解約は、将来に向つてのみその効力を生ずるのが原則であるが、こうした遡及的効果を伴う合意解約も、第三者の権利を害しない限り当事者間において有効に成立し得ることは、もちろんである。したがつて、右合意解約に格別の無効事由が存しない限り、会社が原告らに対してなした解雇の意思表示は、一旦これに付された停止条件の成就を見たにもかかわらず、既往に遡つて効力を生じなかつたことになると認めるを相当とし、右に符合しないところの上記原告らの主張は、結局理由がないことに帰着するものである。

四  しかるところ、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲は、会社のなした任意退職の勧告が無効のものであるから、これに応じて同原告らが退職の意思表示をしたとしても、その意思表示もまた無効、かつ無意味であり、これによつて雇傭契約の合意解約が成立したとはいえないと主張する。そして、会社のなした任意退職の勧告が何故無効であるかといえば、それは、被勧告者が日本共産党員ないしその同調者であるということを唯一の事由としており、これを企業から排除し、労働組合を弱体化させることを企図したものであるから、日本国憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項、第二八条、労働基準法第三条、労働組合法第七条第一項、民法第一条第二項、第三項、第九〇条の明文ないし趣旨に従い、そのように認めねばならぬというのであり、さらに、原告小西一郎については、同原告が日本共産党員でもその同調者でもなかつたから、整理基準の適用も誤つているというのである。

しかしながら、右の主張は、根拠がないものである。

本件整理通告書の記載内容、並びに、その意味するところは、前述のとおりであり、要するに、会社は、同通告書をもつて、上記原告五名を含む被通告者らに対し、所定期限までに特別退職金受給の利益を伴うところの任意退職をするよう勧告すると同時に、同期限の経過を停止条件とする一方的解雇をなしたものである。すなわち、任意退職せぬ者は解雇されるというのであるから、被通告者にとつて会社との雇傭関係を継続すべき途は、残されていない。会社は、いずれにせよ、被通告者らを企業から整理、排除する旨宣言したものであり、ただ、その形式として、任意退職の勧告、並びに、これに応じないことを停止条件とする一方的解雇を併び行うという方法をとつたまでである。上記原告らの主張は、こうした事情を背景になされたものとして、一応常識的には納得できないものではない。

しかし、被通告者らは、右通告において、会社との雇傭関係を存続させることは、認められていないけれども、進んで会社の勧告に応じ、所定期限までに退職願を提出することにより、会社からの解雇の意思に付された停止条件を成就せしめることなく、特別退職金の受給を可能にする雇傭契約の合意解約を成立させるか、同期限までに退職願を提出することなく、会社からの一方的解雇を成立させるか、選択の自由が残されていたのであるから、この場合の任意退職の勧告が、観念上も事実上も、決して停止条件付解雇と不可分のものではなく、別個の法律的評価に服するものであることは、多言を要しない。前者は、雇傭契約の合意解約という法律行為(双方行為)を構成すべき一要素たる申込という意思表示にすぎないが、後者は、それ自体独立した一個の法律行為(単独行為)である。そして、上記原告らは、会社のなした任意退職の勧告が、日本国憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条、第二八条、労働基準法第三条、労働組合法第七条第一項、民法第一条第二項、第三項、第九〇条の明文ないし趣旨に違反し、又は、被勧告者摘出の前提たる事実認定に誤があると主張しているのであるが、こうした事情の故に効力を否定し得るのは、疑もなく独立した法律行為とみるべき一方的停止条件付解雇の方であつて、法律行為の一構成要素たり得る意思表示にすぎぬ任意退職の勧告について、その効力の有無を云々するのは、思考方法として妥当でなく、無意味といわなければならない。任意退職の勧告がかりに不法な企図ないし誤つた認定に基づくものであるならば、不服な被勧告者は、これに応じなければよいのであり、一旦これに応じて退職願が提出された以上、その提出が承諾となり、又は、承諾期間経過後の故にあらたな申込とみなされて、承諾が与えられ、雇傭契約の合意解約が成立し得ることは、当然であつて、反対に解すべきゆえんを知らない。そして、その合意解約が有効か無効かは、別に考察すべき問題であり、任意退職の勧告の不法性が、必然的に合意解約の無効を来たすものではない。むしろ、任意の退職願提出は、合意解約に伴う不利益の受忍とみるべきであつて、勧告の不法性を拭い去るものと解すべきである。雇傭契約の合意解約の本質的効果は、ひつきよう、従来対価関係に立つものとして存在していた労働力の提供義務と賃金支払義務とが、共に消滅することであつて、それ以上の何物でもなく、いわんや、一方が他方に対し過大の給付を強制されるわけでもないのであるから、その合意解約をもたらした契機が、一方当事者の不法な動機ないし企図に基くものであつたとしても、そのため、当該合意解約が公の秩序又は善良の風俗に反するの故をもつて無効になるとは、にわかに考えられない。従来の裁判例においては、任意退職の勧告が不当労働行為的意図の発現その他の事由により無効であるから、これに基いてなされた合意解約の効力も認められないといつた趣旨を判示するものが散見するけれども、当裁判所は、上述した意味において、こうした考え方には到底賛同することができないのである。

五  さらに、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲は、各自の退職願提出による任意退職の意思表示が、心裡留保により無効であると主張する。すなわち、「同原告らは、会社から受けた任意退職の勧告が極めて理不尽なものと考えたけれども、さしあたり自己ないし家族の生活を維持するのに欠くことができない退職金や特別退職金を受け取る必要上、やむなく退職願を提出したものであつて、もともと任意退職の真意を有していたわけではない。労働法の分野における意思表示の解釈は、表示主義でなく意思主義によるべきであるから、こうした真意に基かぬ退職願は、無効といわねばならない。また、会社も、同原告らの退職願を受理した当時、その提出が真意に基かぬことを十分知つていた筈である。」というのである。しかるに、被告は、右主張を全面的に争つているので、以下この点に関する当裁判所の見解を明らかにする。

(一)  成立につき争のない乙第六号証によれば、会社が本件整理通告書を送付して一斉に整理しようとした従業員は、総員二〇名であつたことが認められる。会社は、これら二〇名の従業員を一斉に企業から追放すべく、その形式を整えるため、前示のとおり、昭和二五年一〇月一七日正午までに退職願を提出するよう勧告すると共に、右勧告に応じない者を解雇する旨を通告したものであり、他方、右通告を受けた従業員の側からいうと、退職願を提出するにせよ、提出しないにせよ、数日後には会社との雇傭関係を断絶されるという宣告を受けたわけである。それ故、上記原告らがそれぞれ退職願を提出したについては、任意退職の勧告の背後に控えた停止条件付解雇の意思表示が、強い圧力、要因をなしていたことを推測するに難くなく、任意退職なるが故に満足して退職したものであると断言し得ぬことは、もちろんである。しかも、成立につき争のない乙第一号証、並びに、前掲乙第六号証によれば、会社は、本件一斉整理の直前である昭和二五年一〇月一三日午後五時二〇分、原告らの所属する労働組合の副委員長に対して、『常に煽動的破壊的言動をなして他の従業員に悪影響を及ぼし業務の円滑な運営に支障を来たす者又は業務運営に協力しない者』を『企業防衛の立場より特別整理をする』旨、甚だ抽象的な文言を連ねた申込書を交付した外、事前に被通告者や労働組合にはかることなく、本件整理通告に及んだことが明らかであり、また、本件整理通告書にも被通告者個人別の解雇事由が記載されていないのである。ただ、昭和二五年の夏から秋にかけて、報道機関を皮切りに、電気産業、鉄鋼、石炭、私鉄等、全国各種重要産業と目される企業体や一部官公庁が、次々と日本共産党員及びその同調者をその職場から追放していたことは、公知の事実であり、これが一般に『レッド・パージ』と呼ばれているものであるが、本件の一斉整理も、わが国有数の造船工場設備を有することが公知である播磨造船所が、こうしたレッド・パージの嵐が全国に吹きすさんでいた時期に断行したものであるし、また、前掲乙第六号証、並びに、証人明石直太の証言によれば、本件整理通告が二〇名の従業員に対してなされるのと前後して開始された労働組合と会社との団体交渉の席上、会社側の出席者は、個人的の解雇事由を明らかにすることを避けたが、日本共産党員又はその同調者を整理の対象としたものであることを言明し、右通告の発せられた日の翌日にあたる昭和二五年一〇月一六日には既に、労働組合の内部において、本件一斉整理がレッド・パージであるとの認識に基き、その承認の可否を論議していたことが認められる。それ故、会社から整理通告を受けた二〇名の従業員も、当時自己がいわゆるレッド・パージの対象となつたものであることを認識し得たものと推認しなければならない。しかしながら、当時重要産業や官公庁が断行したレッド・パージが、法律上当然に正当視される根拠を見出し難いことは、後述のとおりであるし、また、占領治下の当時にあつて、レッド・パージに対する公然たる批判は、一般にタブーとされていたけれども、共産主義者ならずとも心ある者は、レッド・パージの合法性につきひそかに疑念を抱いていたことは、否定することのできぬ顕著な事実である。

以上述べた諸般の事情を綜合すれば、会社から本件整理通告書を受け取つた二〇名の従業員は、実際に日本共産党員又はその同調者であつたかそうでなかつたかを問わず、いずれも自己が整理の対象となつたことに甚だしい不満の念を抱いていたものであつて、会社の勧告に応じて退職願を提出した者も、なにがしかの特別退職金を支給されたとはいえ、決してその例外ではなかつたと認むべきである。

(二)  さらに、原告兵藤太郎及び被告間において成立につき争のない乙第三号証の二、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められる同号証の三、前掲乙第六号証、証人明石直太、同松井忠男、並びに原告玉田国弘本人及び同兵藤太郎本人の各供述によれば、

(イ)  原告小西一郎は、本件整理通告を受けた当時、労働組合の青年部長をしていたが、日本共産党員でもその同調者でもないから、自己に対する整理通告は、会社が整理基準の適用を誤つたものであると主張し、労働組合を通じて会社に抗議を申し入れ、会社が当初指定した昭和二五年一〇月一七日という任意退職申出期限の満了後一〇日間ばかり、退職願の提出を控えていたこと、

(ロ)  原告兵藤太郎は、会社から整理通告を受けたことが腹にすえかね、『会社の都合により』と書いた退職願を提出しようとしたが、労働組合幹部の諫言を容れ、右文言を『家庭の都合により』と訂正したものであり、また、昭和二五年一一月か一二月頃、労働組合に協力してほしい旨申し入れ、昭和二九年頃から、やはり復職を目標とする法廷闘争のため、弁護士と相談したり、他の被整理者との連絡を進めたりしていたこと、

(ハ)  原告金地正造も、原告兵藤の場合と同様、その提出した退職願は、当初『会社の都合により』と書いていたのを、労働組合幹部の諫言に従い、『家庭の都合により』と訂正したものであること、

(ニ)  原告松本荒市は、入院療養中に本件整理通告書を受け取つたものであること、

(ホ)  原告西浜咲は、他の被整理者らと趣を異にし、進んで労働組合活動をしたこともなく、労働組合幹部達にも全く知られていない存在であつたこと、

が認められる。

(三)  しかしながら、右に述べたところだけからして上記原告五名にかかる退職願の提出がすべて真意に基かぬものと考えることは早計であつて、反対の推測を可能ならしめるような事情も存在することは、後述のとおりである。しかのみならず、民法第九三条によれば、こうした退職願の提出をもつてする任意退職の意思表示が心裡留保として無効であるためには、退職願の提出が上記原告らの真意に基くものでなかつただけでは足りず、会社において、退職願を受理した当時、その提出が真意に基くものでなかつたことを知り、又は、当然知り得べきであつたという事情が存在していなければならない。上記原告らは、労働法の分野においては、意思主義に従つて意思表示を解釈すべきであると主張するが、かかる一般的命題は、当裁判所においてこれを肯認することができず、ことに、右の主張が、本件事案における任意退職につき民法第九三条本文の適用を認めないというのであれば、それは、甚だしい独善的見解と評すべきである。

(四)  会社の勧告に応諾した従業員にかかる退職願の提出が、その真意に基くものであると推測させる事情というのは、左記のとおりである。

まず、本件特別整理の対象となつた従業員らは、退職願を提出しなくても解雇されることが必定であつて、その場合には任意退職者の特典である特別退職金の支給を受けられぬ旨、会社から通告を受けていたことは、前述のとおりである。また、前掲乙第六号証、成立につき争のない乙第五二号証の二、証人明石直太及び同松井忠男の各証言によれば、労働組合は、昭和二五年一〇月一四日、整理の対象となつた従業員二〇名の氏名が発表されるのと相前後して、対策を協議した結果、本件整理通告書を一括返上し、会社に対して整理の理由を明示することと被整理者の身分保障に関する善処とを求める方針を定め、翌一五日以降会社との団体交渉に入つたのであるが、その席上、会社側の出席者から、本件の特別整理が日本共産党員及びその同調者を対象とするものであることが明らかにされ、また、当時日本共産党相生細胞のとつた行動が労働組合執行部の意向にそわなかつたことから、組合執行委員長の名において同細胞を非難する声明を社内に公にするといつた事態も発生し、同月一七日に至るや、組合員の全体投票の結果、絶対多数をもつて特別整理を承認する旨決議し、以後積極的な反対闘争を放棄したことが認められる。レッド・パージは、その合理的根拠の有無はしばらくおき、昭和二五年秋頃にあつては、資本家又は官公庁がこれを直接行うものであるにせよ、その背後からは占領軍の見えざる圧力が加つているが故に、これに反抗することは、徒労に近いと一般に観念されていたことは当裁判所に顕著であり、そうした当時の一般の風潮を念頭に入れて上記の労働組合の動きを見るならば、それは、決して不可思議なものとはいえないし、また、こうして労働組合からも見放された被整理者の多くが、いいしれぬ敗北感とあきらめに近い感情にとらわれたであろうことは、容易に推測し得るところである。前掲乙第六号証によれば、本件の事案において、会社から任意退職の勧告を受けて退職願を提出した従業員は、一三名であつたことが認められるが、その中の相当多数は、前記のような客観情勢の判断の上に立ち、利害得失を較量して、断乎会社からの勧告を却けて反対闘争に備えるよりも、任意退職してわずかながら特別退職金を貰い受ける方が賢明であると考え、その途を選んだ者に違いないと、当裁判所は、考えるのである。はたしてそのとおりとすれば、たとえこれらの者が内心不満であつたとしても、やはり真意に基いて退職願を提出したものと推認せざるを得ないであろう。

(五)  右に述べたところは、会社が原告小西、同兵藤、同金地、同松本及び同西浜からの退職願を受理した際、各自の任意退職の意思表示が真意でないと考えていたかどうかを判断するについても、相当程度まであてはまる事情である。同原告らの主張に従えば、会社は、同原告らの退職願提出が真意に基かぬことを知らなかつたほど馬鹿ではないというのであるが、前述のとおり、退職願を提出した従業員の多くは、むしろ当時の客観情勢の判断、並びに、利害得失の較量の上に立つて任意退職の途を選んだと認むべきであり、会社においても、その退職願を受理した当時、特に右と異なる考え方をしていたとは思えないから、右の主張はにわかに賛成することができない。しかも、同原告らが、退職願を提出して会社から退職金や特別退職金を受け取つたことは、当事者間に争がないところであり、かつ、その際同原告らが、会社に対しいかなる形及び内容においてにせよ異議をとどめ、その他、退職願の提出が真意でないことを会社の知り得べき形において表現する行動に出た事実も、その立証がない。それ故、会社は、同原告らから退職願を受理した当時、その提出が真意に基かぬものとは考えていなかつたし、また、それは、無理からぬところであつたといわなければならない。

要するに、原告小西、同兵藤、同金地、同松本及び同西浜の心裡留保の主張は、理由がないものである。

六  以上詳述した次第で、退職願を提出した原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲と会社との間の各雇傭契約は、それぞれ合意解約をもつて終了したと認むべきであるが、退職願を提出していない原告玉田国弘と会社との雇傭関係については、同様に考えることができない。

(一)  原告玉田及び被告間において成立につき争のない乙第二号証の一によれば、会社は、同原告らに対しても、支払金額の点を除く外、他の原告に対するのと同文の昭和二五年一〇月一四日付整理通告書を送付することにより、同月一七日正午までに任意退職を申し出るよう勧告する形において、雇傭契約の合意解約の申込をなすと共に、右期間内に退職願を提出しなければ、これを停止条件として解雇する旨、通告したことが認められる。しかるに、同原告は、該通告書掲記の申出期間が満了した後にあつても、退職願を提出していないのであるから、同原告と会社との間の雇傭契約については、合意解約の成立を論ずべき余地がなく、右期間の満了とともに停止条件が成就し、同原告は、会社から解雇(単独行為)されたことになるものといわなければならない。

(二)  ところで、被告は、原告玉田も、会社が退職金や解雇予告手当金として供託した金員の還付を受け、かつ、その際なんら異議をとどめなかつたから、これにより自己に対する解雇を承諾したものであると主張する。そして右供託金受領の事実は、同原告においてこれ認めて争わないところであり、また、その際同原告がなんらかの異議をとどめたことも、その立証がない。しかしながら、こうした事情は、それだけでもつて同原告が自己の受けた解雇を承諾したことの証左となすに十分であるかどうか、甚だ問題といわなければならない。のみならず、同原告及び被告間において成立につき争がない乙第五号証によれば、同原告が右供託金を受領したのは、前示退職願提出期間の末日たる昭和二五年一〇月一七日から二週間も経ていない同月三〇日であつたことが認められるところ、他の原告らの退職願が提出されたのも、当初会社から指定された期限より若干後のことであり、ことに、原告小西一郎のそれのごときは、同期限から一〇日ばかりも後であつたにもかかわらず、かれらは、すべて会社から任意退職者としての所遇を受け、特別退職金を支給されたことは、前に認定し被告も一部認めているところであつて、こうしたことは、当時他の被整理者の動向に観心を寄せていたであろう原告玉田が、当然知つていたものと推認すべきである。そこで、もし同原告が解雇を承認する趣旨で上記の供託金を受領したというのであれば、いつそ他の原告らの場合と同様、会社において期限後の提出にかかる退職願を受理することにより、任意退職者としての所遇を与えられたいと要望する方が得策であり、かつ、自然であつたといわなければならない。逆に、原告玉田がこうした方途を選ばなかつたということは、同原告が上記の供託金を受領したとはいえ、決して、解雇を承認する趣旨ではなかつたことを物語るものである。この点に関する被告の主張は、結局理由がないことに帰着する。

七  そこで、会社が原告玉田国弘に対してなした解雇の効力について判断しなければならないのであるが、この解雇が、昭和二五年の夏から秋にかけて、全国各種重要産業と目される企業体が次々と日本共産党員及びその同調者を対象としてなした一連の追放措置、いわゆるレッド・パージの系列に属するものであることは、前述のとおりである。しかるに、一般論として、レッド・パージがいかなる法規範に準拠することによりその効力を判定すべきものであるかについては、極めて困難な問題があり、従来の裁判例において説示されているところもまちまちであるから、以下この点に関する当裁判所の見解を明らかにする。

(一)  レッド・パージの適法性の根拠として一般にあげられているのは、連合国最高司令官マッカーサーの内閣総理大臣吉田茂に宛てた昭和二五年六月六日付、同月七日付、同月二六日付及び同年七月一八日付各書簡、ことに、最後のそれである。これらの書簡は、いずれも内閣総理大臣に宛てられた体裁になつているが、その内容にかんがみ、また、前記各日付の官報にも公表されているので、同時に日本国のすべての国家機関及び国民に対する指示と認められ、被占領治下において超国内法的効力を有していたものといわなければならない(最高裁判所昭和二七年四月二日決定・民集六巻四号三八七頁以下参照)。

原告玉田国弘、同小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造及び同西浜咲は、これら連合国最高司令官の書簡が、ポツダム宣言その他のより上位の法規範に牴触するから、無効のものであると主張する。しかし、被占領下において、日本国の国家機関及び国民は、連合国最高司令官の指示を遵守すべき義務を負つていたものであり(昭和二〇年九月二日降伏文書第五項、同年月日連合国最高司令官指令第一号第一二項)、日本国の裁判所は、同司令官の指示がより上位の法規範に牴触するか否の審査権を有しなかつたものである。そして、一般に民事上の法律行為の効力は、それがなされた時の裁判規範たる法令によつて判定すべきものであり、後に至つて裁判所が、過去に裁判規範として妥当していた法令の効力を上位規範に照らして否定することにより、当該法律行為の効力の有無を判断することは、許されないと解するを相当とする(最高裁判所昭和三四年七月八日判決・民集一三巻七号九一一頁以下参照)。それ故、少くとも本件の事案において、被占領下においてなされた解雇の効力を判断するに当り、上記連合国最高司令官の各書簡の有効、無効を云々することは、無意味といわねばならず、この点に関する上記原告らの主張は採用に価しないものである。

(二)  それでは、上記連合国最高司令官の内閣総理大臣に宛てた四通の書簡は、それ自体レッド・パージの適法性を裏付けるに十分な内容を包含しているものであろうか。

(1)  昭和二五年六月六日付書簡について。

同書簡は、日本共産党勢力が、「真理を歪曲し、大衆の暴力行為を煽動してこの平穏な国を無秩序と闘争の場所に変え、これをもつて代議民主主義の途上における日本の著しい進歩を阻止する手段としようとし、また日本国民の間に急速に成長しつつある民主主義的傾向を破壊しようとしてきた。」とし、その危険性を強調した上、日本政府に対して、日本共産党中央委員会の全員を構成する袴田里見以下二四名を公職から追放すべき旨指令したものであつて、それ以上に、日本国の国家機関及び国民に対し、日本共産党中央委員以外の同党員及びその同調者を、公職及び重要産業部門から追放する義務を負わせたものとは解するを得ない。

(2)  昭和二五年六月七日付書簡について。

同書簡は、日本共産党の機関紙『アカハタ』が、「相当の期間にわたつて、共産党内部の最も過激な無法分子の代弁者として、法令に基く権威に対する反抗を挑発し、経済復興の進捗を破壊し、社会不安と大衆の暴力行為を引起そうと企てて、無責任な感情に訴える放縦で虚偽で煽動的で挑発的な言説をもつてその記事面や社説欄を冒涜して来た。」として、同誌の内容に関する方針に対して責任を分担している相川春喜外一七名を、公職から追放すべき旨、日本政府に指令したものであつて、これも、日本国の国家機関及び国民に対し、『アカハタ』編集責任者以外の日本共産党員及びその同調者を、公職及び重要産業部門から追放する義務を負わせたものとは解するを得ない。

(3)  昭和二五年六月二六日付書簡について。

同書簡は、『アカハタ』が、「朝鮮の事態を論ずるに当つて真実を歪曲し、これによつて、同紙が日本の政党の合法的な機関紙ではなく、日本国民の間に、特に今回は日本にいる多数の朝鮮人の間に、人心を攪乱して公共の安寧と福祉とを侵害することを目的とした、悪意のある、虚偽の煽動的な宣伝を広めるために用いられる国外の破壊勢力の道具であるという事実を証明している。」として、日本政府に対し、同誌の発行を三〇日間停止させるために必要な措置をとることを指令したものであつて、それ以上の何物でもない。

(4)  昭和二五年七月一八日付書簡について。

同書簡は、レッド・パージの法的根拠として最も重要視されているものであるが、その全文(官報掲載の訳文による。)は、左のとおりである。

「拝啓

虚偽、煽動的、破壊的な共産主義者の宣伝の播布を阻止する目的をもつた私の六月二十六日付貴下宛書簡以来、日本共産党が公然と連繋している国際勢力は民主主義社会における平和の維持と法の支配の尊厳に対して更に陰険な脅威を与えるに至り暴力によつて自由を抑圧する彼等の目的について至る所の自由な人民に対し警告を与えている。かかる情勢下においては日本においてこれを信奉する少数者がかかる目的のために宣伝を播布するため公共的報道機関を自由且つ無制限に使用することは新聞の自由の概念の悪用であり、これを許すことは公的責任に忠実な自由な報道機関の大部分のものを危険に陥れ、かつ一般国民の福祉を危くするものであることが明らかとなつた。

現在自由な世界の諸力を結集しつつある偉大な闘いにおいては総ての分野のものはこれに伴う責任を分担し、かつ誠実に遂行しなければならない。かかる責任のうち、公共的報道機関が担う責任程大きなものはない。何故なら、そこには真実を報道し、この真実に基いて事情に通じ、啓発された世論をつくりあげる全責任があるからである。歴史は自由な新聞がこの責任を遂行しなかつた場合必ず自ら死滅を招いたことを記録している。

私は共産主義者の宣伝が責任を自覚した日本国民大衆に与えるかもしれない破壊的な影響については憂慮してはいない。蓋し日本国民大衆が正義と公正の目的に献身し、共産主義の偽善の仮面を見破る能力を有することを既に充分に立証して来ているからである。しかし乍ら現実の諸事件は共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任、不法の少数分子を煽動して法に背き秩序を乱し公共の福祉を損わしめる危険が明白なことを警告している。それ故日本において共産主義が言論の自由を濫用し斯る無秩序への煽動を続ける限り、彼らに公的報道の自由を使用させることは公共の利益のため拒否されねばならない。

依つて私は日本政府に対し先の私の書簡の実施のために現在とられている措置を引き続き強力に実施し、日本国内において煽動的な共産主義者の宣伝の播布に当つて来たアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた停刊措置を無制限に継続することを指令する。

敬具

一九五〇年七月十八日

ダグラス・マックァーサー

内閣総理大臣 吉田茂殿」

右によれば、連合国最高司令官が、同書簡をもつて、日本政府に対し、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた停刊措置を無制限に継続すべき旨指令したことは、明らかであるが、それ以外に、日本国の国家機関及び国民に対し、いかなる法的義務を負わせたのかは、甚だ不明確であり、せいぜい、共産主義者に公的報道の自由を享受させることを拒否すべき旨を指示した趣旨が読み取られるにすぎず、この点も、一般に報道機関からのレッド・パージを正当視する根拠として当然のごとく援用されている程には明瞭でない。説をなす者は、同書簡中の「現在自由な世界の諸力を結集しつつある偉大な闘いにおいては総ての分野のものはこれに伴う責任を分担し、且つ誠実に遂行しなければならない。」との文言を捉え、これが、報道関係以外の重要産業部門から共産主義者を追放すべき旨を指示したものであるというが、もとより牽強付会も甚しい議論であつて、到底採用することを得ないものである。

(5)  なお、附言するが、上記連合国最高司令官の数次にわたる書簡を授用してレッド・パージの正当性を主張する者も、いわゆる『重要産業』以外の産業部門から赤色分子を追放することの正当性については論及していない。しかし、『重要産業』なる文言は、これらの書簡自体の中にこれを見出すことを得ず、論者の主張においても、その出典の根拠、並びに、『重要産業』とはいかなる範囲の産業を指称するのかを明確にしたものに接しない(強いて臆測すれば、これらの書簡が発せられた当時進行中であつた朝鮮動乱に出動する国際連合軍の戦力に寄与する度合の多い日本の産業が、『重要産業』にあたるとでもいうのであろうか。)から、そのレッド・パージ適法論の論拠、並びに、妥当範囲は、甚だ不可解というべきである。そして、右各書簡に基く限りこうした適用範囲の不明確なレッド・パージ適法論しかなし得ぬということは、これらの書簡において、民間産業部門からの赤色分子追放義務設定という法規範性が甚だ稀薄であり、否、むしろ存在しないことを物語るものに外ならない。けだし、民主主義社会における法規範は、その意味内容及び適用範囲ができる限り外観上明確であることを必要とし、連合国最高司令官の指令又は指示なるが故に、これに対する例外たり得ることを認むべきいわれはないからである。

(6)  もつとも、連合国最高司令官が、上記内閣総理大臣宛各書簡、並びに、これに先行する昭和二五年五月三日付声明において、日本共産党及びその党員が国外勢力に追従し、日本国における民主主義的傾向の強化に障害をもたらす破壊的活動をなしていることを指摘し、かつ、日本国の国家機関及び国民がこの現実を認識すべき旨を強調していることは、否定し得ぬところである。そこで、被告は、連合国最高司令官の指摘する事実は、単なる事実ではなく、占領政策の基礎となるものとして認定したものであり、何人もその判断を尊重すべく義務づけられていたものであると主張しており、また、被占領時代の裁判例の中にも、同様の論法を用いてレッド・パージの合法性を説示しているものがある。しかしながら、これらの声明や書簡に見られる上述の事実判断や説諭的記載は、ひつきよう連合国最高司令官の主観的認識の表明にすぎぬと解するを相当とし、それ自体が、なんらかの意味で日本国の国家機関及び日本国民を拘束する法規範としての性質を有していたかのごとく説くのは、詭弁も甚だしい。いわんや、これらの声明や書簡が、日本共産党ないし個々の同党員及びその同調者にかかる破壊的性格の有無に関し、裁判所の自由心証に基く事実認定を拘束するような作用を営むものでなかつたことは、明々白々といわねばならない。この点に関する被告の主張は、理由がないものである。

(三)  報道関係を除く民間各種重要産業部門からのレッド・パージの適法性を説く者は、しばしばその法的根拠として、連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長が昭和二五年九月下旬頃民間各種重要産業部門の労使双方の代表者を招致してなしたという談話(以下便宜通例に従い、『エーミス談話』という。)を援用する。しかしながら、いわゆる『エーミス談話』なるものの内容は、官報にも公表されておらず、また、裁判所を含む日本の国家機関に対し明瞭な形において公式に伝達されたとも聞かないのであつて、当裁判所は、これを確知するを得ず、したがつて、同談話が、それ自体占領軍官憲の名において民間重要産業部門の経営者に対しレッド・パージを命じたものであるとも、また、上記数次にわたる連合国最高司令官の書簡の中に、このようなレッド・パージの指示が含まれているという占領軍官憲の公的解釈を表示したものであるとも、断定するに躊躇せざるを得ない。むしろ、本件の関係証拠によれば、造船業界からのレッド・パージに関する限り、『エーミス談話』が決してその法的根拠たり得る性質のものでなかつたと推測されることは、左記のとおりである。

成立につき当事者間に争のない乙第一七号証の七によれば、前記エーミス労働課長は、昭和二五年九月下旬頃、造船その他の民間産業部門にかかる労使双方の代表者を総司令部に招致して、レッド・パージの示唆をなしたが、その際の談話の意味内容に疑問の点が生じたので、程なく『造船工業会』の代表者が再び同課長と会談し、その結果を傘下各造船業者に伝達したところ、これが契機となつて、造船業界からのレッド・パージが行われるに至つたといういきさつであるが、右両度にわたつてなされた同課長の談話の内容を要約すると、おおむね次のとおりであつたことを窺うに足りる。

「a 近時における日本共産党員及びその同調者による企業破壊活動は、目に余るものがあるにもかかわらず、経営者がこれを放置していることは、占領軍当局としてこれを座視するを得ない。経営者は、すべからく早急にかれらを企業から排除すべきであり、労働組合も、これに対する協力を惜しんではならない。この要請は、連合国の占領政策に基くものであり、最近における連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡にも、その趣旨が明らかにされている筈である。

b 但し、右の排除措置は、経営者が自主的立場からなすべきもので、実施に際しては、前もつて労働組合と話し合うことが望ましい。

c およそ日本共産党員又はその同調者である限り、たとえ日頃破壊活動を事としているものでなくても、おおむねその潜在的危険性があると考えられるから、これを排除すべきである。もつとも、過去において日本共産党員であつても現在では脱党してしまつているとか、現在同党員であつても党費すら払つていないといつたような特別の者は、排除の対象にしなくてもよろしい。

d 赤色分子の排除は、おそくとも昭和二五年一〇月中には実施し、完了次第その結果を総司令部に報告せよ。

e 上記の排除措置を怠つた会社に対しては、占領軍は、船舶の建造を許可しないであろう。」

しかしながら、企業破壊的活動を事とする労務者を解雇することは、国内法上も使用者が自由になし得る事柄であり、昭和二五年一〇月頃にあつてこれを禁ずる労働協約や就業規則は、おそらくなかつたであろうから、エーミス課長が、上記の談話をもつて、造船等民間各種重要産業部門の労使双方に対し、企業破壊的分子を速やかに解雇し、又はその解雇に協力するよう要請したにすぎないならば、それが命令であろうと、単なる勧告であろうと、その背景に占領政策を云々しようと、連合国最高司令官の書簡を援用しようと、特に法律上の問題はない。『エーミス談話』の問題点は、「日本共産党員又はその同調者ならば、特別の例外の場合を除き企業破壊的分子とみるべきで、これを切り捨て御免式に追放しても差し支えない。」としていることである。しかし、この点の発言も、他の発言部分と綜合して考えると、企業破壊的分子でない日本共産党員やその同調者の追放も是認する趣旨ではもとよりなく、ただ、企業破壊的分子の追放は、早急になされることを希望するから、その実施に当つては、できる限り労働者側との摩擦を避ける一方、拙速を旨とし、日本共産党員又はその同調者ならば、反証なき限り企業破壊的分子と認定して、これを排除する措置が望ましいとする程度のものと解するのが、真実に近いであろう。はたしてしかりとすれば、「日本共産党員又はその同調者ならば、反証なき限り企業破壊的分子と推認すべきである。」との発言も、それ自体事実判断に関し日本の国家機関、並びに、民間重要産業部門の経営者及び労働者を拘束する占領軍当局の公式見解を表明したものかどうか、甚だ疑問である。かりにこの点を積極に解するにしても、エーミス課長が、造船等民間重要産業部門の経営者及び労働組合に対し、企業破壊的分子でないことが積極的に証明されないところの日本共産党員及びその同調者を、切り捨て御免式に追放せよという占領軍の命令を伝達したものとは、にわかに認めることができない。同課長は、最近における連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡が、こうした赤色分子の追放を是認する趣旨のものであると発言しているのであるが、それも、これらの書簡が民間重要産業部門からのレッド・パージを指示したものであるという占領軍当局の公式の解釈を表示したものかどうかは、甚だ疑わしい。これらの書簡を素直に読む限り、到底そうした解釈をなし得ぬことは、前述のとおりであつて、エーミス課長も、レッド・パージの合理的根拠、並びに、占領政策にそうゆえんを説明する便宜上、日本共産党の破壊的性格は、連合国最高司令官の書簡にも明記されていることを指摘したにすぎないと認める方が、真相に近いであろう。なお、右に述べたところを裏付ける事情として、前掲乙第一七号証の七によれば、前記のとおり『造船工業会』の代表者がエーミス課長と会談した際、同課長は、赤色分子の追放が占領軍の命令と理解してよいかとの質問に対し、何故か確答を避ける反面、経営者の自主的立場を強調したことが明らかであり、また、成立につき当事者間に争がない甲第一号証によれば、同課長は、右会談が行われたのと相前後する昭和二五年九月二七日、日本経営者団体連盟の総会において、「赤追放に関して総司令部がこれを指示しているように考えられている向もあるが、そうではなく、経営者、組合が話し合つてやつているのである。」という趣旨の挨拶をしたことも認められる。

以上要するに、エーミス課長は、決して造船等民間重要産業部門からのレッド・パージを命令したのでも、こうしたレッド・パージが連合国最高司令官の内閣総理大臣に宛てた書簡で指示されているという解釈を示したのでもなく、せいぜい占領政策の名においてその早急な実施を勧奨すると共に、これを怠つた場合に業者が受くべき事実上の不利益を警告したにすぎないと解するのが相当である。

因みに、成立につき当事者間に争のない乙第一八号証の一、二によれば、時の労働大臣保利茂は、昭和二五年一〇月一一日から一三日にかけて開かれた第五回『全国労働委員会連絡協議会』、並びに、同月二〇日開かれた『経営者協会常務委員会』の席上なした講演において、そのつど、民間各種重要産業部門からのレッド・パージが、赤色分子の企業破壊的性格にかんがみ、日本国憲法を頂点とする国内法規に照らしこれを違法ないし無効とすべきいわれがない旨を発言した反面、こうしたレッド・パージの法的根拠として連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡や『エーミス談話』を援用するところがなかつたことが窺えるのであつて、このことはレッド・パージに対する当時の日本政府の理解の一端を示すものとして、注目に価する。右の講演内容が、レッド・パージに関する占領軍当局と日本政府との間の了解に基くものかどうかは、判然としないが、もし同講演が占領軍当局の意を汲んでなされたものであるならば、それは、数次にわたる連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡や『エーミス談話』が、報道関係を除く民間各種重要産業部門からのレッド・パージの法的根拠にならぬことの傍証となるであろう。

(四)  以上詳述したところの当裁判所の見解は、最高裁判所昭和三五年四月一八日大法廷決定(民集一四巻六号九〇五頁以下)の存在にもかかわらず、変更の必要を認めない。

右最高裁判所決定は、裁判官一四名全員一致の意見をもつて、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の無期限発行停止に関する昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の内閣総理大臣宛の書簡が、『公共的報道機関』にとどまらず、『その他の重要産業』の経営者に対し、その企業から共産主義者又はその支持者を排斥することを要請したものと「解すべきである旨の指示が、当時当裁判所に対しなされたことは当法廷に顕著な事実である。そしてこのような解釈指示は、当時においてはわが国の国家機関及び国民に対し、最終的権威をもつていたのである(昭和二〇年九月三日連合国最高司令官指令二号四項参照)。」と判示する(なお、同裁判所昭和三七年二月一五日第一小法廷判決・民集一六巻二号二九四頁以下参照)。そして、その後の下級裁判所の裁判例は、少数の例外を除き、右最高裁判所決定を援用する外なんらの論拠も示すことなく、報道関係以外の民間重要産業からのレッド・パージが合法であると判示する傾向にある。

しかしながら、昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の内閣総理大臣宛の書簡について、同司令官又はその配下の占領軍官憲から最高裁判所に対しなされたという解釈指示に関する前掲同裁判所決定の判示は、右に尽きるのであつて、この解釈指示が、文書、口頭等いかなる形式をもつてなされたのか、また、右判例に指摘されている以上にいかなる具体的内容を有していたのかは、未だ官報に公表されたこともなければ、最高裁判所から明らかにされたこともなく、全くヴェイルに包まれている。かように、右判例にいう解釈指示なるものの実体が甚だ明瞭を欠くところから、進んで右解釈指示がなされたという事実そのものを疑う向が生じていることは、無理からぬところであり、また、右の事情は、該事実の存在に対する当裁判所の心証形成にも、若干の影響を与えるものである。すなわち、右解釈指示の事実そのものは、最高裁判所大法廷を構成する裁判官全員に顕著であるという以上、一応その存在を推測し得なくはないという程度のものであり、それが当裁判所にとつて民事訴訟法第二五七条にいわゆる『顕著ナル事実』に転化したことを意味するものでもなければ、合理的な疑を挿む余地のない程高度の真実蓋然性の確信が得られたことを意味するものでもないのである。かりに一歩を譲り、右解釈指示の事実の存在自体は、これを肯認せねばならぬとしても、前掲最高裁判所決定によれば、該解釈指示は、最高裁判所に対しなされたとあるだけであるから、それが日本の全下級裁判所を拘束する性質のものであつたかどうかは、判然としない。連合国最高司令官又はその配下の占領軍官憲が、最高裁判所のみを拘束して下級裁判所を拘束しない解釈指示をなしたと考えることは、一見甚だ奇異の感がするけれども、未だかつて下級裁判所が占領軍当局又は最高裁判所から公式に右解釈指示の伝達を受けたということも聞かない(その証拠に、被占領時代の下級裁判所の裁判例は、すべて民間重要産業からのレッド・パージを適法と判示しているけれども、その論拠をこうした解釈指示に求めているものはない。)から、そうした臆測も、あながちいわれがないものとは断じ難いのである。

いずれにせよ、当裁判所は、昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡には、『公共的報道機関』のみならず、『その他の重要産業』から共産主義者及びその支持者を追放すべき旨の要請が含まれているという解釈指示が、当時同司令官又はその配下の占領軍官憲から下級裁判所をも拘束するものとしてなされたという事実を肯認することができない。該書簡の意味内容に対する当裁判所の理解は、さきに詳述したとおりであつて、それ以外ではあり得ない。

(五)  以上要するに、造船等民間重要産業部門からのレッド・パージの法的根拠として、上記数次にわたる連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡や『エーミス談話』を援用することは、許されぬものであり、他にこれを根拠付ける超国内法的法規範が占領軍当局から出されたとも認められないから、こうしたレッド・パージの系列に属する解雇処分も、日本国憲法を頂点とする国内法規に照らし、その効力の有無を判定する外はないものというべきである。

八  よつて、以下もつぱら国内法規に準拠し、会社が原告玉田国弘に対してなした解雇が有効か無効かについて判断する。

原告玉田国弘が右解雇を無効とする論拠は、まちまちであり、援用する法文も、日本国憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項、第二八条、労働基準法第三条、労働組合法第七条、民法第一条第二項、第三項、第九〇条と多岐であるが、それは、ひつきよう、会社において、同原告が日本共産党員又はその同調者であるということだけを理由として、それ以外の具体的根拠がないのに同原告を解雇したことを、種々の法律的角度から評価したに外ならない。しかも、被告は、あたかもこれに照応するがごとく、日本共産党が戦後労働組合運動に名をかりて暴力的企業破壊活動に狂奔したから、播磨造船所においても同党員及びその同調者を解雇せねばならなかつた旨詳述するが、原告玉田国弘について、いかなる企業破壊活動の事跡又はその蓋然性があつたのか、具体的には何も主張するところがないのである。

会社が原告玉田国弘を含む二〇名の従業員に対してなした一斉整理が、もつぱら日本共産党員又はその同調者と見られる者を対象に選んだものであることは、前述のとおりであり、成立につき当事者間に争のない乙第五六号証の一、二、同第五七号証の二、第五八号証の二によれば、同原告が同党員であることも、これを認めることができる。しかし、日本共産党は、被占領時代にあつても、合法政党としてその存在を公認されていたし、日本国憲法第一四条、第一九条、第二一条第一項は、すべて国民が法の下に平等であることを宣言すると共に、国民が共産主義を信奉し、その思想を公表することも保障しており、その精神を受けて、労働基準法第三条も、使用者が、労働者の信条を理由として、解雇を含む労働条件について差別的取扱をすることを禁止しているのである。したがつて、ある労働者が日本共産党員又はその同調者であり、ないしは共産主義を信奉している場合において、単にそれだけを理由として当該労働者を解雇することは、国内法上これを是認すべき根拠を見出し得ない。被告は、日本共産党及びその下部組織たる相生細胞が暴力的団体なるが故に、同党員ないし細胞員及びその同調者たる労働者が、おおむね企業破壊的分子であると主張するもののごとく、その立証のため多くの証拠を提出しているのであるが、そのすべてをもつてしても、当裁判所は、ある労働者が本件解雇の行われた当時同党員ないし細胞員又はその同調者であつたとの一事をとらえ、反証なき限り、彼を企業破壊的分子と推認すべき旨の法則を見出すことができない。当時占領軍が日本共産党に対し少からぬ敵意を抱いていたことは、当裁判所に顕著であり、また、成立につき当事者間に争のない乙第八号証によれば、播磨造船所は昭和二一年八月一三日付連合国最高司令官の日本政府宛の覚書により、賠償指定工場に指定され、同司令官の保管、統轄の下に置かれたことが認められるが、こうした事情も、特定の労働者が日本共産党員又はその同調者であること自体を解雇事由となすことを可能ならしめる決定的事由とはならないであろう。結局、ある労働者に対する解雇が是認されるかどうかは、彼がいかなる政治上の団体に属し、又はいかなる信条を抱いているかを考慮の外において決定すべき事項といわねばならないところ、原告玉田国弘については、過去における企業破壊活動の具体的事跡又はその顕著な蓋然性、勤務成績の不良、労働に著しい障害を来たすところの精神的又は肉体的障害、その他解雇を理由あらしめるに足る特段の事情は、本件の全証拠をもつてしても、これを認めることを得ず、かえつて、同原告本人の供述によれば、こうした事情がなかつたことを窺知するに十分である。

以上要するに、会社は、労働基準法第三条に違反し、原告玉田国弘が日本共産党員ないしは共産主義の信奉者であることを唯一の理由として、これを解雇したと認定するのが相当であり、かかる解雇は、民法第九〇条にいわゆる『公ノ秩序又ハ善良ノ風俗』に反するものとして、無効と断じなければならない。したがつて、同原告と播磨造船所の包括承継人たる被告との間には、その後格別の雇傭関係消滅事由が生じたことの主張、立証もない以上、今なお雇傭関係が継続しており、同原告は被告の従業員たる地位を保有しているものと断ずべきである。

九  しかるに、被告は、原告玉田国弘が会社から解雇されてから本訴を提起するまでの間に、かなり長年月が経過しているにもかかわらず、その間同原告において、格別出訴、仮処分申請その他右解雇の効力を争う趣旨の行動をなした事跡がなく、他方、解雇を前提とした生活秩序が既に一応の安定を見ていることを指摘し、いわゆる失効の原則の理論を援用することにより、同原告が今にして右解雇の無効を主張しているのは、信義則に反し、許されないと主張しているので、以下右主張の当否について判断する。

おもうに、失効(Verwirkung)の原則は、この数十年来ドイツの判例、学説によつて認められ、わが最高裁判所においても解除権についてその適用を肯定すべき場合があることを認められた(昭和三〇年一一月二二日第三小法廷判決・民集九巻一二号一、七八一頁以下)、未だ発展段階にある理論であつて、その意味するところについては、確たる定説を見ない。しかし、権威のある学説に従えば、それは、すべての私法上及び公法上の権利の行使につき、消滅時効や除斥期間に服すると否とにかかわらず、信義誠実の原則(民法第一条)に根拠を求めることにより、適用を肯認することができる一般理論であつて、その大要は、「権利者が久しきにわたつてその権利を行使しないため、相手方において、その権利はもはや行使されないであろうとのもつともな信頼を抱き、その遅延した権利の行使が取引界を支配する信義誠実の原則に照らして不誠実と思われる場合にあつては、当該権利は、もはや失効したものとしてその行使が許されない。」というのである。それ故、原告玉田国弘が本訴において解雇の無効を主張していることも、失効の原則の理論からする批判を当然には免れ得ぬものであるが、終局的に右解雇無効の主張が許されぬものと断ずるためには、同原告が解雇されてから本訴を提起するまでの期間が異常に久しかつたという時の経過だけでなく、遅延した訴の提起が信義則に反するとみられる特別の事情が存在していることを必要とするものといわなければならない。

しかるところ、本件の事案において、会社の原告玉田国弘に対する解雇が、一応昭和二五年一〇月一七日正午の経過により効力を生ずるものとしてなされたことは、前述のとおりであるが、同原告が右解雇の無効確認を求めて本訴を提起したのは、昭和三五年七月二九日であることが記録上明らかであつて、その間に一〇年近く経過している計算になる。そして、この一〇年近くの間に、原告が訴の提起、仮処分申請、労働委員会に対する救済申立、その他播磨造船所ないしはその包括承継人たる被告が認識し得る形において右解雇の無効ないし不当を主張する趣旨の積極的行動に出たことは、これを認むべきなんらの証左も存しない。しかしながら、同原告が、会社からなされた任意退職の勧告を却け、解雇の意思表示に付された停止条件を意識的に成就させたことは、将来その解雇の効力を争う余地を残すための措置としかみることのできないものであり、その後同原告が会社から退職金等として供託された金員の還付を受けたことも、解雇の効力を争う意思の放棄と認むべきでないことは、前述のとおりである。それ故、会社及びその包括承継人たる被告において、同原告を解雇してから一〇年近くも経過した以上、もはや同原告からその解雇の無効を主張されることもあるまいと信じていたかどうか、問題であり、かりにそのように信じていたとしても、その信頼が客観的に是認し得る程度にもつともなものであるかどうかは、かなり疑わしい。さらに、同原告が日本共産党員であることは、前述したが、本件解雇がなされてから一年半以上続いた被占領時代において、日本共産党員の反レッド・パージ抗争が容易に効を奏するであろうとは、何人も想像しなかつたところであり、事実、被占領時代及びこれに続くしばらくの間、同党員がレッド・パージの無効を主張して裁判所に出訴した場合、例外なく敗訴していたことは、当裁判所に顕著であるから、本訴の提起が遅延したについても、相当期間において幾分無理からぬ点があつたことを、認める必要があろう。こうした事情を考え合わせると、同原告が、会社から解雇されて以来一〇年近く経過した後、本訴において右解雇の無効を主張し始めたことは、甚だしく遅延した権利の行使ではあるが、それが、信義則に照らし相手方の信頼を裏切る不誠実なものであると断ずるには、些か躊躇せざるを得ない。

以上の理由により、失効の原則の理論を採用した被告の主張は、採用することができないものである。

一〇  そこで、以上説示したところに従い、本判決の結論を示すと、左のとおりである。

(一)  株式会社播磨造船所が原告玉田国弘に対してなした解雇は、同原告の信条を理由とした不利益な取扱として、労働基準法第三条に違反し、民法第九〇条により無効であつて、同原告と右会社の包括承継人たる被告との間には、今なお雇傭関係が存続していると考えられるから、同原告は、右雇傭関係に立つ従業員であることを確認すべきものである。

(二)  しかし、原告小西一郎、同兵藤太郎、同金地正造、同松本荒市及び同西浜咲と播磨造船所、したがつてその包括承継人たる被告との間の各雇傭契約は、それぞれ当事者間に合意解約が有効に成立したため、消滅に帰したと考えられるから、これと反対の事実を前提とする右原告五名の各請求は、いずれも理由がないものとして棄却を免れない。

(三)  なお、訴訟費用については、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文に従い、かつ、同法第九二条を類推適用して、主文第三項掲記のとおり、各当事者にその負担を命ずべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 戸根住夫)

(別紙1)

重要産業から共産主義者等を排除すべき旨の連合国最高司令官指示の有無、効力について。

(原告玉田、同小西、同兵藤、同金地及び同西浜のなした主張)

被告は、本件解雇は連合国最高司令官のいわゆるマッカーサー書簡に基づいて行われたものであると主張している。

右声明・書簡がレッド・パージの法的根拠となり得ないことについては、すでに述べたところであり、大部分の判例、学説が承認するところであるが、この点について最高裁大法廷が、中外製薬レッド・パージ事件について昭和三十五年四月十八日に新しい決定を行つているので、これについての原告等の見解を明らかにする。

一 本件解雇のような所謂レッド・パージが、連合国最高司令官の指示によつてなされたものであるとしても、かかる指示はポツダム宣言に違反するから無効であり、無効の指示にもとずく解雇もまた無効である。

(1) 連合国軍の日本占領に至る経過とその特質。

一九四五年七月二十六日、アメリカ、中国、イギリスはポツダム宣言を発表し、やがてソビエトもこれに参加した。

ポツダム宣言は、その第一項において「日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与えることに意見一致せり」という。

そして第五項は、日本が戦争を終結するためには第五項以下の条件を承認しなければならない、という。すなわち「吾等の茲に指示する基本目的達成を確保するため」の占領(七項)、カイロ宣言の履行(八項)、軍隊の完全武装解除(九項)、戦争犯罪人の処罰と並んで十項は「日本国政府は日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」という。

日本は八月十日に受諾の回答を行い、これに対し、アメリカ、中国、ソビエト、イギリスの四連合国の側から八月十一日に回答が行われた。その中には「連合国軍はポツダム宣言にかかげられたる諸目的達成が完遂せられるまで日本国内に留まるべし」という項が含まれる。

この回答を受けて日本は、八月十四日に正式にポツダム宣言受諾の意思を公表した。

次いで休戦の交渉に入り、九月三日に降伏文書が調印された。

この中で日本はポツダム宣言の誠実な履行を約した。

右の経過で日本はポツダム宣言を受諾し、ポツダム宣言に規定された占領を受諾した。ここに連合国と日本との間に合意が成立し、この合意の公式の表明が降伏文書である。

(2) 占領は合意に基づくものである。

この合意は戦勝国の要求と降伏国の受諾という意味における意思の一致であつて、対等当事者間の契約関係ではなかつた。しかし、日本占領は単に日本が連合国の事実上の武力支配の下に立つた、というのではなくて、あくまで合意に基づき、この合意に占領国、被占領国の双方が拘束される関係にある。無条件降伏と云うのは、降伏の条件が連合国側によつて一方的に決定され、日本はそれをそのまま受諾しなければならなかつたという意味をもつに過ぎないのであつて、降伏に条件が無く、連合国の占領に何等の拘束もない、という意味では決してなかつたのである。

実際、ポツダム宣言に降伏の条件は明示されており、その五項は「吾等の条件左の如し」といつて、ポツダム宣言自体が条件と云う語を用いている。連合国は、その諸条件に反して行動することは許されない。占領目的はポツダム宣言に記載された範囲に限定され、連合国が占領目的を一方的に変更したり、またこれの範囲を逸脱した行動をとることはできない。

すなわち連合国は右の諸条件のもとで休戦を認める態度を表明したものであり、これを認めて休戦を成立させることは国家としての無条件降伏ではなく、以上の条件に則つての降伏休戦の申入れであり、ポツダム宣言の受諾を正式に文書にし、休戦を成立せしめた降伏文書は、国際法上の一方的行為でなく、政府が正式に締結した休戦条約に外ならない。

そして、連合国もわが国も共に国際的合意である降伏文書およびそれに引用されて、その一部をなしているポツダム宣言の規定に拘束されるのである。占領軍といえどもその拘束から自由でないことは当然である。

降伏文書には「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれるものとす」と規定されている。然し、この規定は日本がポツダム宣言並びに降伏文書の実施のために必要な限りにおいて連合国の権力に服従する義務を負うことを定めたもので、この義務の発生する根拠は、日本がこれに合意したことにある。そして天皇と日本政府は連合国最高司令官の制限の下におかれるけれども、その最高司令官の権限はポツダム宣言と降伏文書の規定によつて制約される。前記の降伏文書からいきなり最高司令官が「全く自由に自ら適当と認める措置」をとる権限(昭和二十八年四月八日最高裁大法廷判決)があるというわけにはいかないのである。

(3) 連合国最高司令官はポツダム宣言に拘束される。

1 最高裁大法廷、昭和三十五年四月十八日の決定(中外製薬事件)は、「連合国最高司令官の指示が、当時わが国の国家機関及び国民に対して、法規としての効力を有するものであつたことは、別示当法廷の判例(昭和二十七年四月二日、共同通信事件)の趣旨とするところである」という。

法規としての効力をもつ、ということが、単に事実上の占領権力に裏打ちされているため実際上否認することが出来ないということを意味するものではなくて、少くとも何等かの意味で「法的有効性」を承認したものであり、しかもその法規範としての有効性が「憲法とかかわりない」ものであるならば、その法的有効性の根拠は更に明示されなくてはならないはずである。

即ち、最高司令官の指示に、その法的有効性を賦与し、これを承認する上位規範がなくてはならないのである。それこそ、最高司令官がその占領政策を実施するについて準拠しなければならない法規範である。

即ちポツダム宣言以外にはないわけである。

そしてその指示がポツダム宣言に反するならば、そこに法的有効性を承認することは出来ない。それはただ武力によつて支えられた事実上の要求であるに過ぎず、何人もこれに従う義務はなく、これに従わない者に対して義務違背を問うわけにはいかない。日本裁判所もまた、かかるものに対して法的効力を承認することは出来ない。

ポツダム宣言と降伏文書は、連合国に対する日本の服従を要求する。これがその一面である。

しかし、その服従は条件付である。それはポツダム宣言の掲げる諸条件を実施するためという条件が付せられている。

日本はポツダム宣言を履行しなければならないが、連合国もまた、これを履行しなければならない。これが、その反面である。

最高裁判所の立場は前者の一面のみを強調して、後者の反面からは何等の法的意味をも導き出さない。

最高司令官の指示が、日本国民に服従を要求するのは前者の一面による。それが法的な服従の義務を課するのは後者の反面による。即ち日本がポツダム宣言を受諾し、連合国が、ポツダム宣言を実施するものとして降伏文書に合意したからである。

日本は自ら、ひとたび行つた受諾と合意に拘束される。

これ以外に「法的効力」の根拠はない。

連合国もまた、自ら提示して日本国の承認を得たポツダム宣言に拘束される。これ以外に法的効力の根拠はない。

2 降伏文書五項は、一切の官庁の職員に対し、連合国最高司令官が降伏条項実施のため適当なりと認めて、自ら発し、又はその委任に基き発せしめる一切の布告、命令及び指示を遵守し施行することを命じているが、これは最高司令官に対し、その発する指令、命令が、降伏条項実施のため適当であるか否かについての白紙的な認定権を与えたものではない。

なぜならば、降伏文書ならびにそれに引用され、その一部をなすポツダム宣言は明白に日本占領の基本目的(軍国主義の除去、戦争遂行能力の破砕、領土の削減、武装解除、戦犯の処罰、民主々義の確立、特に言論、宗教、思想の自由と基本的人権の尊重、軍需産業禁止)を宣言しており、右基本目的に反する権力の行使を、それ自体が容認していると解することは全く不可能だからである。

降伏文書五項の意味するところは、最高司令官に対し、降伏条項(基本目的)実施の手段、方法について、ある程度の自由裁量権を付与したところにある。すなわち、最高司令官の自由裁量権は、命令の内容にではなく、それを発する手段、方法について認められているのである。

したがつて、最高司令官の立法行為がポツダム宣言、降伏文書の基本目的に違反するに至つた場合は、違法としてその効力を否定せらるべきことは理の当然であつて、裁判所は一般に国内法について憲法適合性の有無の判断を義務づけられると等しく、この場合に於いても国際法適合性の有無の判断を回避することはできないのである。

(4) 連合国最高司令官は極東委員会の諸決定に拘束される。

1 連合国による日本占領管理の機構は、一九四五年十二月十六日から開かれた四カ国外相会議により決定されたモスクワ会議コミュニケによつて確立されたのであるが、それは次のようなものである。

関係十一カ国からなる極東委員会は「日本が降伏条項に基づく自国の義務を完遂するにつき準拠すべき政策、原則、及び基準を作成する」機関であり、アメリカは右委員会の政策決定に従い指令を作成し、これを連合国最高司令官に送達し、最高司令官は委員会の政策決定を遂行する責任を有する。

最高司令官に対し発せられた指令又は最高司令官がとつた行動については、委員会において検討することができ、その結果指令又は行動の変更せられるべきことを決定するときは、委員会の右決定は、政策決定とみなされる。最高司令官は、日本の降伏条項、占領及び管理並びにその補足的指令の完遂のために一切の命令を発する権限を有するが、事態の緊急性の許す限り重要事項に関する命令の発生に先だち、連合国代表五名で構成される対日理事会と協議し、諮問すべきである。即ち、ここに於て確立された日本管理方式は、極東委員会を最高の立法機関とし、対日理事会を協議機関として、連合国最高司令官に唯一の実施権限を与えるものであつて、連合国最高司令官に執行の最高権限が与えられるが、右執行は極東委員会の政策決定に拘束されるのである。

2 極東委員会は一九四七年七月十一日、降伏後の日本に対する基本政策を決定し、公表している。右基本政策は、連合国の日本占領管理に関する基本原則を定めたものであつて、連合国最高司令官は、右基本政策に拘束される。

3 基本政策はその冒頭に「この文書は降伏後における日本に対する一般的政策を述べたものである」と述べ、前文、第一部究極の目的、第二部連合国の権力、第三部政治、第四部経済の構成をもち、占領管理の全般にわたつて明らかにしている。そして、その第一部第二項は究極の目的を達成する手段として日本の非軍事化と軍国主義的傾向の除去、基本的人権尊重制度の確立等を規定し、第三部政治に於ては「個人の自由と民主々義的過程に対する要望の奨励」として、

1日本国民の間における民主々義的傾向の復活強化に対する障害の除去、2集会と公開討論の権利を有する民主々義的政党と労働組合の組織の奨励、3人種、国籍、信条または政治的意見を理由に差別待遇を規定する法律、命令規則の廃止等を規定している。

又第二部連合国の権力においては、最高司令官は降伏条項を実施し、日本の占領管理のために立てられた政策(まさに本基本政策において示されるもの)を実行するために必要な一切の権限を有すること、「日本に対する戦争に参加した国家の国民日本人および世界一般は占領の目的と政策、その実現の進行に関して常に十分に情報を与えられるものとする」こと等が規定される。

連合国最高司令官の命令、行動が、前記極東委員会の基本政策に違反するに至つた場合、違法として、その効力を否定せられるべきことは当然である。

(5) レッド・パージのような共産主義者に対する不利益な差別取扱いはポツダム宣言に違反するものである。

ポツダム宣言十項は「言論、宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重は確立せられるべし」と規定しているが、これは共産主義者の政治思想と政治的信条を含み、また同じ宣言にいう「民主々義的傾向の復活強化に対する一切の障礙」のなかに、共産主義者と共産主義思想に対する政治的、法律的弾圧の一切を含んでいたことは疑いをいれない。

それは昭和二十年十月四日に治安維持法、国防保安法、思想警察の廃止と政治犯の釈放が指令され、更に同六日には特高警察が廃止され同十日には徳田球一、志賀義雄らの共産主義者を中心とする約三千名の政治犯が一斉にその自由を恢復したことのなかに明らかにあらわれており、これら一連の措置はもとよりポツダム宣言の実施にほかならなかつたのである。

ポツダム宣言は、アメリカ、中国、ソビエト、イギリスなど資本主義国と社会主義国とが、その社会制度の相違を越えて、日本帝国主義とナチス・ドイツ、ファシズム・イタリーを共通の敵に据えた反ファッショ民主々義連合国戦線の共同綱領の性格をもつており、日本の降伏に先んじて署名された国際連合憲章の、平和と人権尊重をうたつた格調高い前文の精神が脈打つていたのである。

共産主義者と、その同調者を、その理由をもつて職場から追放し、生活の途を奪い、屈辱におとし入れる如き最高司令官の指示が、ポツダム宣言に反することは一点の疑いもない。

又、かかる指示が、前述の極東委員会の基本政策に違反する事も明白である。

したがつて、かかるレッド・パージの「指示」があつたとしても、それは上位規範たるポツダム宣言等の国際法規に違反し、無効であると云うべきである。

前記最高裁の決定は明らかに誤りである。

二 連合国最高司令官マッカーサーの声明、書簡はいずれも無効である。

(1) 五月三日付声明は、共産主義又は共産党に対する悪意に満ちた非難と中傷をくり返している単なる声明であり、形式的にも、実質的にも最高司令官の指示でない事は明らかである。

(2) 六月六日付以降の一連の書簡は、日本共産党中央委員全員を公職から追放すること、同党機関紙アカハタの編集者を追放すること、同党機関紙アカハタの発行停止、アカハタとその後継紙同類紙の無期限発行停止を、それぞれ指示している。しかし、これらの指示自体形式的にはともかく、実質的には連合国最高司令官の指示ではなく、(アメリカ帝国主義の代理人マッカーサーの指示に過ぎない)法規範としての拘束力を有するものではない。

ポツダム宣言は、占領政策実施の基本法であり、連合国最高司令官といえども、これに反する指示を発し、占領政策を実施することはできない。と同時に、日本国政府及び国民は、ポツダム宣言を受諾しこれを誠実に履行することを約しているのである。(降伏文書)いうまでもなく、それは日本国政府及び国民が自ら積極的にポツダム宣言の条項を誠実に履行するのみでなくポツダム宣言の条項を侵すものがあれば、その侵すものが誰であるかを問わず、その侵害を誠実に排除すべき義務と権利ある事を約しているものである。かような侵害を排除することなしには、ポツダム宣言の条項を誠実に履行する義務を果し得ないからである。

連合国最高司令官の書簡による前記指示は、朝鮮戦争の直前、直後にかけて、わが国の民主運動と平和運動を弾圧し、臨戦体制をととのえるための、アメリカ帝国主義の代弁者としてのマッカーサー元帥の指示であつたことは、もはや何人も否定し得ない歴史的事実である。

しかして、この事実をおおいかくすため、右声明及び書簡は虚偽と誇張された事実にもとずく、共産主義に対するヒステリックなまでに強調されたヒボウの言葉の羅列以外のものではない。

しかも、これは日本人戦犯の仮釈放、七月八日の軍隊創設の指令等と一連のものとして出されているのである。

右一連の指令が、ポツダム宣言、降伏文書、極東委員会の一九四七年七月一日付基本政策等の確立された国際法規と抵触するものであることは疑いない。

ポツダム宣言六項より十一項までは日本占領の基本原則を規定している。そして十二項には「前記諸目的が達成され、且つ日本国民の自由に表明せる意思に従い、平和的傾向を有し、且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せられるべし」と規定している。これは本宣言中の諸目的に反する占領形態の許されないことを規定したものと解される。

ポツダム宣言が、基本原則として掲げるものは、<1>軍国主義勢力の一掃、<2>完全武装解除、<3>戦犯の処罰、<4>言論、宗教、思想の自由、基本的人権尊重の確立、<5>軍需産業の禁止、である。朝鮮戦争開始前後に於ける前記マッカーサーの指令のすべては、ポツダム宣言の条項にことごとく違反していることは極めて明白である。かような指示が、連合国最高司令官の指示として何等法的効力をもち得ない事は云うまでもない。

(3) マッカーサーの前記指示は、アメリカ帝国主義の野望を遂行するために、その立場を悪用し、ポツダム宣言、極東委員会の決定をふみにじつて行われた非合法的な犯罪行為に外ならない。『被占領国である日本の政府及び国民は、連合国最高司令官の指示である以上、これを無条件に守る義務があり、その指示がポツダム宣言の条項に違反しているか否か、したがつてそれが法的効力をもつか否かを自ら判定する権利はない』とか、『最高司令官の指摘した事実判断についてさえ、それの真偽を判定する権利はなく、その真偽を問わず、無条件にこれを尊重しなければならない』等と主張するものがあるが、これは降伏文書に於て、日本国政府及び国民にポツダム宣言の条項を自ら誠実に履行する義務が課せられており、且つポツダム宣言の条項に対する侵害を排除する義務と権利があることを忘れたものである。

また、占領治下にあつた日本国政府及び国民は、自ら白を白と認定し、黒を黒と判定する自由さえ奪われ、最高司令官が黒を白と事実判断をした場合、日本国政府及び国民はもはやこれを黒と判定する自由さえないとするものである。わが国の民主化を占領政策の基本方針の一とするポツダム宣言を忘れた見解に外ならない。

最高裁大法廷の昭和三十五年四月十八日の決定は、以上の理から目をそらし、連合国最高司令官の前記指示は、最高司令官の指示として法的拘束力を有するものとしている。

その良心に従い、独立してその職務を行うことを裁判官に要求している憲法第七十六条第三項に違反するものと云うべきである。

三 連合国最高司令官が「公共的報道機関」「その他の重要産業」「官庁公共企業体など」をも含めて、本件解雇の如き、所謂レッド・パージを指令した事実は存在しない。

(1) 指令の根拠とされている最高司令官の声明、書簡は次のものである。

(イ) 昭和二十五年五月三日声明

これは長文のものであるが、すでに述べた如く単なる反共宣伝に過ぎず、何等具体的措置を日本国政府、国民に指示したものではない。即ち当時の共産主義運動をひぼうし、最終的にはこれに対する日本国民の心構えについて警告したに過ぎないものであり、日本国民を具体的に拘束するような法規範としての性質は全くない。

(ロ) 昭和二十五年六月六日付書簡

これは日本共産党中央委員会を構成する中央委員二十四名全員を公職より追放するため必要な行政上の措置をとることを命じたものである。

(ハ) 昭和二十五年六月七日付書簡

これは日本共産党機関紙アカハタの編集者十七名の公職追放について必要な措置をとることを指令したものである。

(ニ) 昭和二十五年六月二十六日付書簡

これはアカハタの発行を三十日間停止させるために必要な措置をとることを指令したものである。

(ホ) 昭和二十五年七月十八日付書簡

これはアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対しその停刊措置を無期限に継続することを指令したものである。

(2) これらの声明、書簡をレッド・パージの「指令」と解する理論は全く根拠不明と云わねばならない。

これらの書簡の前記趣旨以外の内容は、その指示が発せられるに至つた理由若しくは縁由に過ぎない。

立法の理由、若しくは縁由が、それ自体法規範と認められない事はいうまでもない。

のみならず、これらの内容は日本国内における共産主義の思想と行動を好ましくないとし、もしくはそれ故に共産主義者をして公共の報道機関を利用させるべきではないとするに過ぎず、単に窮極的に報道機関のもつ責任を抽出するための前提的乃至前置的説示とみるべきものである。

そこには、主要産業の経営から共産主義者を排除すべきであると云うような特定された趣旨は全く含まれて居らず、日本国民又は日本重要産業の経営者に対する最高司令官の法的要請と解釈し得る根拠は全く見当らない。

マッカーサーの前記書簡、声明をレッド・パージの指示であると解釈し、これを適用するが如きは、全くのこじ付けであつて、拡張解釈の濫用であり、その良心に従い独立して職権を行うことを使命とする裁判官のとるべき態度ではない。

かかる解釈は、権力者に対する隷属を国民に強いる法解釈でしかない。昭和三十五年四月十八日の最高裁大法廷の決定は誤りであり、裁判官に課せられた使命からして、速かに変更されなければならない。

(3) 昭和二十七年四月二日、大法廷決定は「この書簡(昭和二十五年七月十八日)は直接には日本政府に対し、“アカハタ”及びその後継紙並びにその同類紙の発行を無期限に停止する措置をとるよう指令したものの如くであるが、右文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に考え合せてみると……報道機関から共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した指示であることは明らかである」というが、全く奇想天外な拡張解釈というべきである。更に、

昭和三十五年四月十八日、大法廷決定になると「声明及び書簡の趣旨に徴して……明らかである」としている。

しかし、これは全く牽強付会の論である。右両者とも何等明らかでないものを「明らかである」といつている。

明らかでないことは次の事実に徴しても証明出来る。

(イ) 昭和二十八年五月八日大阪地裁決定

昭和二十八年十二月二十五日大阪地裁判決(阪神電鉄事件)ここでは「マ元帥書簡のすべての趣旨も、これをすべての日本国民又は日本重要産業の経営者に対する日本共産党及びその同調者の企業外排除の法的要請と認むべき根拠となすに足りない」としている。

(ロ) 昭和三十一年二月二十四日金沢地裁判決

「これらの諸指令、声明が被告会社(北陸鉄道)のような民間企業から迄も共産主義者及びその同調者を追放すべき措置をとることを日本政府に対し指示していると解することはできない」

(ハ) 昭和二十九年九月四日京都地裁判決(大映事件)

「前記一連の声明、書簡の発せられるに至つた根底には連合国による占領管理政策として民主主義原理によつて再発足した日本の社会秩序をそれに反する仕方をもつて混乱と破壊を惹起しようとする共産勢力を排除しようとする意嚮の存するが、連合国最高司令官の我国政府に対する指令又はその指令の施行命令乃至指令施行のための国内法令なる明確な形式を備える場合は別として、このような形式を具備しない限り、それ自体広漠たる内容のものであり、これが具体的実現のためには更に明確なる対象、方法等の規制を俟つべき性質のものであつて、かかる規制を俟つことなく、右意嚮自体をもつて連合国により日本の国家機関並に国民に対し遵守すべきことを義務づける法規範が設定されたものと解することは困難である」

このように、下級審では最高裁と反対の解釈がなされ、しかもこれが支配的であつたのである。

だからこれを「明らかである」というようなことは正に背理である。

(3) かかる指令は存在しないとすることこそ自然である。

連合国最高司令官の日本管理については周知の如く極東委員会対日理事会等連合国機関の監督及び勧告が行われる建前になつていた。

従つて、その指令は他の法令と同様に、いやそれ以上に明確でなければならないことは当然である。

最高司令官の発する指令形式は、覚書、声明、書簡等必ずしも統一されてはいないが、いづれにしても指令の前提をなす政策の表明又は説示と、指令自体とは截然と区別されるべきものであつて、指令は具体的に対象を明らかにし、指令であることを明確にして発せられている。

このことは、前述の諸書簡自体の形式においても明らかなところである。そして指令が具体的な事項につき個別的に発せられねばならない事は、モスクワ外相会議コミュニケにおいて要請されているところでもある。すなわち、同コミュニケに定める極東委員会の任務には、最高司令官がとつた行動について検討することが掲げられ、又最高司令官には重要事項に関する命令の発出に先だつて対日理事会と協議する義務が定められているが、この事は最高司令官の行動(指令は当然含まれる)が対外的に明確である事を前提とするものである。

最高裁決定の解釈によつて、はじめてその内容が判明するが如き性質のものであるべきではない。

かかる意味においても、かかる指令が存在したと解釈すべき余地は全く存在しない。

特にこの点については、連合国総司令部のエーミス労働課長は一九五〇年十月十九日、十四労組代表と会見した際「レッド・パージは労使双方が協力して行う労使双方の課題である。司令部が指令したものでもないし、日本政府が命令したものでもない」と声明しており、又、右エーミスは、同年九月二十七日の日経連総会の席上、「赤追放については総司令部がこれを指示しているように考えているむきもあるが、そうではなく、経営者、組合が話し合つてやつているのである」(昭和二十五年九月二十八日付朝日新聞)との談話を発表している。

総司令部からマッカーサー書簡の解釈についてなされた権威ある解釈はこれにつきると云うべきである。

前記最高裁の「明らかである」との決定は、以上の事情を完全に無視するものであつて、明らかに誤りであり、変更されなければならない。

四 最高裁判所に対する「解釈指示」があつたということは「顕著な事実」ではない。

(1) 昭和三十五年四月十八日の最高裁大法廷決定が、マ書簡の解釈につき、最高裁判所に対する解釈指示がなされたということを明らかにしたのは特に注目される。

中外製薬事件に関する前記大法廷決定は、次の通り述べている。

「連合国最高司令官の指示が、所論の如くただ単に『公共的報道機関』についてのみなされたものではなく、『その他の重要産業』をも含めてなされたものであることは、当時同司令官から発せられた原審挙示の屡々の声明及び書簡の趣旨に徴し明らかであるばかりでなく、そのように解すべきである旨の指示が、当時当裁判所に対しなされたことは、当法廷に顕著な事実である。そしてこのような解釈指示は、当時において、わが国の国家機関及び国民に対し、最終的権威をもつていたのである。(昭和二〇年九月三日連合国最高司令官指令二号四項参照)」

(2) 仮りにかかる解釈指示があつたとしても、その指示は以下に述べる理由によつて無効である。

最高裁決定の引用する最高司令官指令二号四項が「何レカノ訓令ノ意義ニ関シ疑義発生スルトキハ発令官憲ノ解釈ヲ以テ最終的ノモノトス」としているとしても、本件マ書簡の如く指令の内容がその形式上明白なる場合に、合理的に解釈しうる以上に指令の範囲を拡張して解釈することは最高司令官自身によつてもなしえないと解すべきであり、仮にそれが可能であるとしても、少くとも発令官憲(最高司令官)の解釈は新たな指令と同様に、そのものとして指令対象者に対し公表せられなければならない。もしそうでなければ指令に対する違反が占領政策違反として処罰の対象となるのであるから、罪刑法定主義の原則は全く蹂躙される結果になる。しかるに本件の場合、最終的たるべき最高司令官の解釈は何等指令対象者である国民の前に明らかにされていないのであるから、本指令解釈の上に最終的な最高司令官の解釈は存在しなかつたものと云わなければならない。

このことは極東委員会の決定した基本政策、第二部連合国の権力中の「日本に対する戦争に参加した国家の国民、日本人及び世界一般は、占領の目的と政策、その実現の進行に関して、つねに十分に情報を与えられるものとする」との規定の趣旨からも明らかである。

かかる解釈指示自体もポツダム宣言に違反し、極東委員会の基本政策に違反し、無効であることは云うまでもない。

(3) 最高裁判所に「顕著な事実」であるとされる「解釈指示」が何時、どのような形式で、具体的にどのような内容でなされたものであるかは、前記決定自体からは明らかにされていない。

前記引用した部分を一読しただけでは、最高裁判所に対して、一体何人が指示したのかさえ、明瞭でない。このような具体性のない事実を判断の基礎にすることができるのであろうか。

元来、「裁判所に顕著な事実」とは、裁判所が具体的事件を判断するについて、証明を要しない事実であるが、単に裁判所を構成する個々の裁判官の個人的認識であつてはならず、当該具体的争訟において、両当事者が攻撃防禦の方法の前提とするに足る事実でなければならない。当事者が知りようもない事実を判断の基礎とすることは、裁判所に寄せる当事者の期待を一切否定し、当事者主義の構造を完全に認めないことになるからである。

このような「事実」は、これまで当該事件の当事者はもちろん何人にとつても知りようがない事実であつたのである。しかも、この「事実」たるや、何時、何人が、どのような形で指示したかが少しも明らかにされないものであるとすれば、もはや「顕著な事実」と呼ぶことは許されない。

なるほど最高裁判所が、右の決定の中で、そのようなことを述べているということは、以後裁判所に「顕著な事実」であるとはいえるであろうが、少くとも「解釈指示」があつたという事実自体は、最高裁大法廷以外のすべての裁判所にとつて「顕著な事実」であるとはいえないのである。

そればかりでなく、本当に最高裁判所がいうような「解釈指示」があつたのであろうか。そのことが、以下に述べる通り、極めて疑わしいのである。

(4) いわゆる共同通信事件に関する昭和二十七年四月二日の大法廷決定は、次のように述べている。

「この書簡(昭和二十五年七月十八日付)は、直接には日本政府に対し『アカハタ』及びその同類紙の発行を無期限に停止する措置をとるよう指令したものの如くであるが、右の文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に考え合せてみると、一般に相手方のような報道機関から共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した指示であることは明らかである。また右の書簡は内閣総理大臣吉田茂に宛てられたものではあるが、前記日附の官報にも公表されており、それは同時に日本のすべての国家機関並びに国民に対する指示でもあると認むべきである。」

この決定が、平和条約の発効前、すなわち占領中になされたものであることは、特に注目されてよい。

「当時において、わが国家機関及び国民に対し最終的権威をもつていた」「このような解釈指示」が本当に最高裁判所に対してあつたならば、最高裁判所は、なにも、「当時」、「右の文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に考え合わせてみる」必要は全然なかつたはずである。最高裁判所は、最高裁判所に対する「解釈指示」を引用しさえすれば、それだけで「最終的権威」をもちえたのである。このことは、このような「解釈指示」が実は存在しなかつたことを疑わしめるに十分ではなかろうか。

少くとも、右共同通信事件の決定当時、最高裁判所にとつて「顕著な事実」でなかつたことだけは確かである。

(5) 共同通信事件の前記大法廷決定は、マ書簡が日本の「国家機関並びに国民に対する指示」でもあると認むべき理由の一つとして、「官報にも公表され」たことを挙げている。マ書簡が「憲法にかかわりなく」、日本の国家機関および国民に対し法的効力をもつための一つの要件として、最高裁判所が当時書簡が「公表」されていることをあげていたことも明らかである。ところが、最高裁判所のいう「解釈指示」は、「当時」(一体何時なのかはわからない)からいかなる形によつても「公表」されていない。官報は、もちろん裁判所時報等にも「公表」されたということを知らない。

昭和二十八年五月八日大阪地裁決定(近畿日本鉄道事件)同年十二月二十五日大阪地裁決定(阪神電鉄事件)、昭和二十九年九月四日京都地裁判決(大映事件)、昭和三十一年二月二日金沢地裁判決(北陸鉄道事件)等、いくつかの下級審が、最高裁判所の解釈とは全く逆に、マ書簡が、報道機関については格別、すべての国民または主要産業の経営者に対し法的要請をなしたものではないと考えてきた事実は、最高裁判所のいうような「解釈指示」が、いかなる形にせよ「公表」されなかつた事実を裏付けている。これらの事件は、いずれも当該下級審に占領中継続したものであるから、占領中「最終的権威」をもつ「解釈指示」が存在し、またはその存在が知らされておれば、下級審は、この「解釈指示」とは全く相反する「解釈」をなしえなかつたに違いないからである。

最高裁判所に対する「解釈指示」が「当時」から「公表」されていなかつたばかりでなく、「当時」から現在に至るまで、いかなる形にせよ、下級裁判所に伝達されていないことは、右に述べたいくつかの下級審の裁判が最高裁判所の解釈と全く反対の解釈を行つて来た事実、および中外製薬事件の大法廷決定の後になされた近畿日本鉄道事件の大阪高等裁判所の判決が、“当時最高司令官から公共的報道機関のみならずその他の重要産業に対しても共産主義者又はその同調者を排除すべきことを直接に要請した指示、又は、右書簡が、重要産業をも含めて解せられるべきである旨の別途の「解釈指示」の如きものがなされたことを認めるに足る事実は何もなく顕著な事実でもない”との趣旨の判断を行つた事実、三井美唄事件の札幌高等裁判所の判決が、右大法廷決定に従いながらも、最高裁のいうような「解釈指示」には、一言もふれていない事実にてらして明らかである。

(6) 以上述べて来たところによれば最高裁判所のいうような「解釈指示」が現にあつたという事実すら、すでに極めて疑わしいといわねばならない。

しかし、それはともかく、そのような「解釈指示」があつたという事実は、当裁判所にとつて、少くとも「顕著な事実」ではありえない。

かかる「解釈指示」が当時裁判所一般に対してなされなかつた事こそ顕著な事実である。

むしろ、前述した如く、総司令部エーミス労働課長によつて、かかる「解釈指示」とは全く反対の解釈が国民一般に対し公表されていた事こそ、公知の事実である。

当法廷にとつて顕著な事実は、そのような「解釈指示」があつたという事が公表された事もないし、当裁判所に対し、最高裁判所からいかなる形によつても伝達されていないということではなかろうか。

(7) 最高裁判所は、共同通信事件の大法廷決定においてマ書簡を一般に報道機関に対してなされたものであると拡げ、中外製薬事件の決定によつて、「その他の重要産業」をも含めて行われたのであると更に拡張した。しかも、「その他の重要産業」に拡張するに当つては、恐らくは十数年にわたつて秘匿されて来たことにならざるを得ない、まことに疑わしく、全く顕著でない「顕著な事実」が援用された。全く国民を愚ろうする強弁と云わねばならない。

五 最高裁判所に対する「解釈指示」があつたとしても、それはすでに効力を失つている。

いわゆる中外製薬事件に関する大法廷の決定は、最高裁判所に対する解釈指示があつたことを「顕著な事実」であるとし、「そしてこのような解釈指示は当時においてわが国の国家機関及び国民に対し、最終的権威をもつていたのである」と判示する。

民事上の法律行為の効力が行為当時の法令によつて判定さるべきかどうかの問題はしばらくおくとしても、最高裁判所もいうようにそのような「解釈指示」に最高裁判所が従うべき義務は、「当時において」はあり得たとしても、占領が終つた決定当時においては全くなかつたのである。最高裁判所が、平和条約の発効によつて、右のような「解釈指示」が効力を失つた後にいたつて、なお、その「解釈指示」を有権的解釈として援用することは背理も甚だしい。「憲法及び法律にのみ拘束される」べき裁判官の態度ではない。

最高裁判所に対するそのような「解釈指示」があつたとしても、最高裁判所は、占領中においてのみ、そのような解釈をなさねばならなかつたのである。(そのような「解釈指示」はポツダム宣言に違反しており、その当初にさかのぼつて無効としなければならないことは云うまでもない。)

しかも、中外製薬株式会社に対して、当該解雇当時、直接最高司令官の解雇指令がなかつたことは明らかであるし、最高裁判所に対しても、中外製薬事件について、マ書簡に包含されると解釈すべき旨を具体的に指示したことがあつたとも考えられない(最高裁第一小法廷昭和三十二年六月五日判決、東京朝日新聞事件参照)。

本件においても同様である。仮に最高裁判所に対する「解釈指示」が事実あつたとしても、その「指示」は、もはや効力を有しないのであるから、そのような「解釈指示」にもとづく「解釈」は、本件において許されない。

六 昭和三十五年四月十八日最高裁大法廷の決定は、何等法規範としての効力のないものを有効であるとして適用し、何等明らかでないものを明らかであると強弁し、何等顕著でないものを顕著な事実であると援用している。右大法廷は憲法で定められた裁判官の任務を放棄し、その良心をアメリカ帝国主義と、日本独占資本に売り渡し、自ら憲法を蹂躙して決定を行つている。

最高裁判所といえども、憲法に反して新たな法規範を設定する権限はない。右大法廷の決定は、それ自体憲法違反の決定であり、違法、不当なものである。

七 最高司令官の指示は、憲法を越えるか

(1) 最高裁判所大法廷が「わが国の法令は右指示に抵触する限りにおいて、その適用を排除される」ものとすることは屡次の判例に徴して明白である。しかし、この見解はまちがつており、判例はあらためなければならない。最高裁判所は、最高司令官の指示の実質と、日本国民の基本的人権の関係について再検討し、その従前の見解をあらためるべきである。

かりに本件解雇が最高司令官の指示によるものであるとしてもそれは憲法違反であり(憲法十四条、十九条等)憲法に規定された「憲法以前」の基本的人権を侵害するものである。

(2) 憲法十一条は、基本的人権の普遍性、不可侵性、永久性、固有性という根本的な性格を宣言しているものとして説かれる。

それはまず普遍性をもつ、すべての国民はひとしく基本権を享有する。それは一定の身分や、人種や性別を前提として享有しうるものではなく、人間本来の権利として存在する。一部の人にのみ与えられる権利は基本権というに価しない。権力による不可侵は基本権の本質であつて「法律の留保」はもとより、「占領の留保」も許されず、また「公共の福祉」を理由とする一般的な人権の制限も許されない。それはまた永久の権利である。

将来にわたつて永久に剥奪されることがあつてはならない。それは国民としての権利というよりは、人間として与えられているものであるという思想に基く。それは天賦固有のものであつて、人間が作つたものではない。従つてもとより憲法によつて与えられたものではない。それは「改正」したり「留保」したりすることはできない。

(3) 一九四五年七月二十六日、アメリカ、中国、イギリスはポツダム宣言を発表し、後にソビエトもこれに参加した。日本は八月十四日、これを受諾し、ついで九月二日に降伏文書に調印した。

ポツダム宣言には「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。

言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」(一〇項)とある。戦後日本の、人権保障は遡つてこのポツダム宣言に至る。然し、基本的人権は、ポツダム宣言と共にはじめて生れたものではなく、世界史の上において、既に二世紀に及ぶ歴史をもつ。

そのもつとも公式的、古典的な表現であるというバージニア権利宣言は次のようにいう。

「すべての人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するに当り、いかなる契約によつても、その子孫からこれを奪うことのできないものである」(一条)

この権利思想が更にヨーロッパにわたつて定着したのが、フランスの一七八九年の「人および市民の権利の宣言」である。

「国民議会として組織されたフランス人民の代表者達は、人権の不知、忘却または蔑視が公共の不幸と政府の腐敗の諸原因にほかならないことにかんがみて、一の厳粛な宣言の中で、人の譲渡不能かつ神聖な自然権を展示することを決意した」という前文をもつこの宣言は、その十一条において「思想及び意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一である」とうたつていた。このアメリカとフランスの二つの革命で生れた人権宣言は、とくにフランスの人権宣言を通じて世界の各国にひろまり、そして二世紀にわたる試練に耐えた。

(4) 今日の国際連合憲章と、世界人権宣言とは、その国際的結晶ということができる。

世界人権宣言は、その前文冒頭において「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と、平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義、及び平和の基礎である」「国際連合の諸国民は基本的人権、人身の尊厳及び価値並びに男女の同権に関するその信念を憲章において再び確認し」とのべる。そして更に次の通り規定する。

二条一項「何人も人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上若しくは他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地又は他の地位というようないかなる種類の差別も受けることなしに、この宣言に掲げられているすべての権利と自由とを享有する権利を有する」

七条「すべての人は、法の前において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、またこのような差別のいかなる教唆に対しても、平等な保護を受ける権利を有する」

十八条「何人も思想、良心及び宗教の自由を享有する権利を有する(以下略)」

十九条「何人も意見及び発表の自由を享有する権利を有する。(以下略)」

二十三条「何人も労働し、職業を自由に選択し、公正且つ有利な労働条件を得、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。(以下略)」

(5) とくに「政治的意見による不利な差別」の禁止を、基本的人権保障の一つとして国際法のなかに規定する例が増加していることは、今日の基本的人権保障に関する国際的水準を知る上に有益である。

世界人権宣言二条一項がとくに「政治上もしくはその他の意見」による差別を禁じていることは、さきに引用したとおりである。

その他戦時における文民の保護に関する一九四九年八月十二日のジュネーブ条約。

十三条「第二編の規定は、特に人種、国籍、宗教又は政治的意見による不利な差別をしないで、紛争当事国の住民全体に適用されるものとし、また戦争によつて生ずる苦痛を軽減することを目的とする。」

二十七条三項「被保護者を権力内に有する紛争当事国は、健康状態、年令及び性別に関する規定を害することなく、特に人種、宗教又は政治的意見に基く不利な差別をしないで、すべての被保護者に同一の考慮を払つてこれを待遇しなければならない」

捕虜の待遇に関する一九四九年八月十二日のジュネーブ条約

十六条「階級及び性別に関するこの条約の規定に考慮を払い、また、健康状態、年令、又は職業上の能力を理由として与えられる有利な待遇を留保して、捕虜はすべて、抑留国が人種、国籍、宗教的信条若しくは政治的意見に基く差別又はこれらに類する基準によるその他の差別をしないで均等に待遇しなければならない」

その他、戦地にある軍隊の傷者及び病者の改善に関する一九四九年八月十二日のジュネーブ条約十二条にも同旨の規定がある。

(6) 宮沢俊義教授は、日本国憲法にいう基本的人権について次のようにいう。(有斐閣法律学全集、憲法II、一九七頁)

「基本的人権は『侵すことのできない永久の権利』である。その意味は、ここにいう基本的人権が、アメリカ、フランス両革命以来の人権宣言で宣言、保障された『人権』にほかならないというにある。それは、また、そうした基本的人権の宣言、保障を主眼とする日本国憲法第三章が、伝統的な人権宣言の性格を有することを意味する。したがつて、日本国憲法にいう基本的人権は、さきに説明されたような前憲法的性格を有する固有の意味の人権を意味するということになる。」憲法上の人権は、憲法が創設したものでなく、それが前憲法的性格をもつ権利を確認、宣言、保障したものである。そしてその内容は、右にみた国際的水準の高さにおいて理解しなければならない。

従つて、一定の法令や処分が憲法の人権規定に違反するから無効であるという場合には、それが無効である真の理由は、右のような意味における基本権の侵害に対する法的非難にある。

(7) そこで、基本的人権は立法、司法、行政の国家権力によつて侵されてならないことは勿論、国際条約によつても、更にまた占領権力によつてもまた侵されてはならない。

ただ占領権力による人権侵害については、それが事実上占領軍という強権の支配下にあるために、これを人権の侵害、即ち憲法上の基本権保障に反するという理由で、その侵害を排除することが、事実上できない場合があるというにすぎないのである。事実上その排除ができないということと、その侵害の憲法上の評価とは、全くその性質を異にする。

鵜飼信成教授は旧朝鮮人連盟の財産に関する民事訴訟の鑑定書において次のようにのへている。

「占領軍の命令に基く処分の中、本来憲法に違反しないものについてはそれが占領軍の命令に基くというだけの理由で特別に考えなければならない問題は多くはない。問題は本来憲法に違反する性質のものである。このような処分は潜在的には無効の処分であつた。ただそれが占領目的達成のため必要であるという理由でのみ、占領中はその効力が認められ、とくに日本の裁判所はその効力を判定することができなかつたのである。従つてその当時は潜在無効の状態にありながら、実際上行われていたに過ぎないといわなければならない」

そこで、憲法の基本権規定に関する限りは、占領軍の処分といえども「憲法にかかわりなく」行われうる余地は全く存在しなかつた。

そこに人間があり、従つて基本的人権があるにもかかわらず、その侵害が憲法の人権規定と「かかわりなく」行われるはづがない。

仮に立法手続、立法形式、立法権限などの点で「憲法にかかわりなく」占領権力の行使される余地があつたとしても、ひとたび基本的人権に直接に関係する限りは占領中いかなる権力といえども「憲法にかかわりなく」行使されうる途はなかつたのである。

人権規定について占領法規超憲論の生ずる余地はない。

(8) 従つて、最高裁判所が安易にも「連合国最高司令官は降伏条項を実施するためには日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守せしめることを得たのである」というが如きは、過ぎ去つた占領権力の亡霊につかれて、基本的人権に関する人類の死闘の成果に弓をひくものであつて、その誤りはまことに度しがたきものがある。

「全く自由に自ら適当と認める措置」をとりうるが如き権力が仮にそれが占領権力であつたとしても今世紀に存在し得ると考えることの誤りは明白である。いかなる意味においても法的な規制を受けない権力などは、既に人類共通、最大の専制権力としてこの地上から消えうせたはずではなかつたか。不可侵、不可譲の人権に対しては占領権力といえども黙つて席を譲るべき法的規制をうけていたのである。人権侵害の占領権力の行使に対しては、法的な批判が可能であつたのである。ただ時にそれが実効を伴わなかつたにすぎない。占領中の批判的言論の封殺は、日本の裁判官から批判的「判断」をも中止させたものであろうか。

(別紙II省略)

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